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ダメだ。限界だった。
溢れ出した涙は、ほおを無音で伝って行った。
これを誰かに見られるわけにはいかない。
廊下を全力疾走する。
途中、誰かにぶつかった。相手は「お前」と言いかけて口をつぐんだ。愛の顔に気づいたらしい。
どうして。
どうして、よりによってお前なのだ。
愛は翔を押しのけて再び走った。
「おい!」と背中から声がしたが、無視した。
走り続けて、どのような経路をたどったのかは良く覚えていないのだが、気づいたら寮の前の庭に出ていた。
寮の前には、ちょっとした庭園がある。ちょっとした花壇と、ちょっとした噴水と、ちょっとしたベンチがあるだけの簡素なものだが、もうすでにほとんどが部屋に帰っているこの時間であれば、一人で泣くにはちょうど良い場所に思えた。
愛はふらふらとベンチに歩み寄り、腰掛けた。
途端、涙が止まらなくなった。
泣いたのは何年ぶりだろう。
夏江の話を聞いているうちに、これまでは自分の中で押し殺して来た、愛と父と母と、三人が並んで歩く絵が頭の中にふわふわと浮かんで来てもうダメだった。
叶わない願いなのに。
しばらく両の手に顔を埋めて泣いていると、不意に足音が聞こえた。
びくりとして音の主を見る。
案の定、翔だった。
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