4号車の後ろ側の扉

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俺、羽島努が、電車に乗るのは午前8時25分。 いつもの電車の、いつもの車両に乗り込むと、すぐに向かいの扉に背中を向けて立ち、鞄から本を取り出す。 あまり長編は読まない。 持ち運びが不便なのもあるが、つい夢中になって、電車が降りる駅に着いたことも気付かずに、降り過ごしたことがあるからだ。それ以来、短編集の文庫が鞄にはいつも入っている。 しかし、俺の読書の時間も数ヵ月前から、長くは続かなくなった。それはこの人が原因だ。 おはよう!羽島くん。 眼鏡を変える気は本当にないの? その人は、毎朝必ずそう言って声を掛けてくる。 黒のパンツスーツをすんなり着こなして、長い黒髪は後ろで上げている。真っ白なうなじがあらわだ。赤縁の楕円形の眼鏡は少し色味がかっている。本人いわく、仕事でパソコンばかり見ているから、ブルーライトカットを入れているからだとか。 なんだ!?眼鏡に興味が湧いてきたか? なら、是非、その野暮ったい眼鏡を!クール眼鏡に変身させよう! 眼鏡について少し話したら、俺の眼鏡がいかに、俺の外見を残念にしているかを、乗換駅まで延々話してくれた。 黙っていれば、知的な美人に見えるのに、そちらこそ残念な人だ。口にはしなかったが、本当にそう思った。 午前8時50分。 いつもの駅から、あの人が乗ってくる。 同じ位置から乗ってくるから、当然気付いてはいる。 でも、自分からは絶対に声を掛けない。 なぜかって? 実を言えば、自分でもよく分からない。意地になっているのかもしれないな。 おはよう!羽島くん。 米田みお(よねだ みお) 27歳。 実は中学時代からの先輩である彼女は、今日も満面の笑顔で、話しかけてくる。
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