ウミノモノ

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ウミノモノ

『盆と正月は漁をするな,海に出るな。赤子を抱いた濡女(ぬれおんな)に持ってかれるぞ。海難法師(かいなんぼうし)に連れてかれるぞ』  これは地元の漁師の爺さんたちが,よく子供たちに聞かせていた都市伝説みたいなもんだ。  かつては神奈川県の漁師町として栄えた三浦郡葉山町から鎌倉市の腰越,藤沢市の片瀬海岸あたりにいた古い漁師は,盆と正月は赤子を抱いた濡女に海に引きずり込まれるからと漁に出ることを禁じていた。  西湘からさらに西に行くと,古い漁師たちの間では海に引きずり込むのは,濡女より忌み嫌われる海難法師となった。  海難法師は,寛永五年~正保二年(1628~1645年)に伊豆諸島の代官を務め,あまりの悪行のため島民によって殺された豊島作十郎(忠松)の怨みが妖怪になったと伝えられている。  海の近くに住む者にとっては,盆や正月に海に入ると溺れ死んだ者たちの霊に引っ張られるだの,戦時中に戦火を逃れようと海で命を落とした霊達に連れて行かれるだのと言われ,海水浴すら禁じられていた。  そんな海の近くで暮らす者にとって,漁師でなくても海にまつわる禁忌やルールは子供のころから聞かされてよく知っていた。  とくに濡女は人面蛇体で常に濡れた髪と大蛇のような身体をくねらせ,海に近づく者を引きずり込み生血を喰らうと言われ,年寄りたちは長い黒髪の女性を見ると「濡女みたいで,おっかねぇ」とよく口にし,小学生も意味もわからず女子への悪口として使って先生に怒られた。
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