序章 1985年

3/5
前へ
/306ページ
次へ
 そんな二人が20年振りに顔を合わせ、  暫しの沈黙を破ってやっと京が口を開いた。  すると豊子は、吸っていた煙草を灰皿で圧し潰し、 「いきなり何を言うかと思えば、他に言う言葉はないのかね、いいかい? 今  は昔と違ってね、こっちが黙ってても、どうぞお使いくださいって、向こう  が勝手に持って来るんだよ。ご丁寧に頭まで下げてだ。だからそんな言い掛  かり、これっぽっちだって言われる筋合いないんだよ!」    忌々しそうにそう言って、勢い良くソファから立ち上がった。  真っ赤なワンピースを着込み、しっかりと化粧を施している彼女は、  一見40代後半くらいに見えないこともない。  しかし実際は還暦をとうに過ぎて、  更に10年以上が経っている筈だった。   若々しい顔の下にある喉元には、  相応の年齢を思わせる皺筋が連なっている。  豊子は軽く咳払いをして、ゆっくり京の立つ窓際へ近付いていった。  彼の斜めすぐうしろ、己の吐息が届きそうな位置に立ち、 「あの日、あのままここに残っていれば、もうとっくにあんたがここを継いで  いただろうに……。でもまあいい、とにかく戻って来たんだ。これからは、  ちゃんとわたしの言うことを聞いて、しっかりと精進しておくれよ」    そう力強く声にして、京の視線と同じ方向に目を向けた。  東京ドーム二つ分の敷地の中には、  まだまだ建設途中のところが幾つもあった。    しかし後ひと月あれば、どれもこれも予定通り完成に漕ぎ着けるだろう。  豊子自身、50年前生きる為に始めた占いが、  ここまでのことになるとはまるで思ってもいなかった。  ――ここが完成し、後は、京がわたしの跡を継いでくれれば……。  豊子が切望するそんな未来の為にも、今日の客人を逃すわけにはいかない。  ここ本殿が完成して、初めて大物信者候補が訪れるのだ。  教団の長い歴史の中で、  彼こそが最も日本国に対する力を有している人物だろう。  そんな男が、あと一時間もすればこの本殿にやってくる。
/306ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加