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 芹沢(せりざわ)寿々香(すずか)坂本(さかもと)結莉(ゆり)は地下アイドルだ。「S・Witch(スイッチ)」というコンビで活動をしている。Sで始まる苗字の二人による、魔女の衣装を着たアイドル。Sのウィッチでスイッチというわけだ。  地下アイドルというジャンルはその名の通り、地下階にあるライブハウスのステージに立つ。かつてバンドブームだった頃に各地で増えたライブハウスは、防音対策として地下に造られることが多かった。そこが今ではマイナーなアイドルたちの主戦場となっている。地下アイドルがどんなに話題になっても社会に浸透しないのは、盛り上がっている音が外へ漏れないようになっている仕組みに原因があるのかもしれない。  この日も、中野ブロードウェイを少しすぎたあたりにあるライブハウス「インフィニティ」では、「S・Witch」をはじめ複数の地下アイドルたちによる合同ライブが行われていた。  ほんの30センチほど高くなっている足場が、このライブハウスのステージだ。フェンスなどもないので、観客が手を伸ばせばステージ上の出演者に手が届く。しかしどんなにご執心の出演者がいても、無理に触ろうとする観客はまずいない。 『♪あなたの声を 私のセンサー キャッチしちゃう』 「S・Witch」の楽曲『恋のスイッチ・オン』が流れてきた。  お目当ての出演者の出番でない場合、観客は壁際に後退したり、トイレへと中座したり、とてもドライに時間を持て余す。まさに今も、ペンライトや手拍子を駆使してステージに見入っている「S・Witch」ファンは数えるほどで、観客側の密度はかなりゆったりしていた。 『♪気づかないうちに 恋のスイッチ・オン もう戻れないの』  曲が終わったときだけは、マナーとして全員が拍手を送った。そしてステージ上の出演者が退場するタイミングで、観客側もちょっとした移動が行われる。次の出番となる出演者のファンがステージの目の前に集まり始めるのだ。  次の出演者は人気が高いようで、かぶりつきのエリアは同じ色のシャツを着たファンによって埋め尽くされた。一方、自分たちの目的は済んだとばかりに、エントランス部分へと退出したのは先ほど盛り上がっていた数人だった。
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