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 Oは、滝沢が戦後大学へ戻ったこと、今は経済を教えていること、グラスをあける前に聞き出してしまった。  彼のほうはというと、運よく知り合いの会社に簿記係として雇われているという。  以前は工場に勤めていたのだが、やはり体を壊してしまった。肉体労働は年を取って、辛くなってきた。生まれて初めて本格的に勉強もし、眼鏡もかけなくてはいけなくなった。  その姿から南洋での痴態は想像もできない。人目の付かない岩壁で、男の股に顔を埋めていた姿は白昼夢だったのではないか、と思ってしまうほど。どこにでもいる男だ。  こんなにもOと二人で話したのは、初めてだった。記憶していることは多くても、直接本人の口から言葉を聞いたことは、数えるほどしかない。 それなのに、途切れることのない人並みの中でも、彼の視線にすぐにぶつかった。
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