赤毛の猫

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先生の軍医時代、もしかすると、それより以前、学生時代からの知り合いなのかもしれないそいつは、私が彼のその言動に苛立ち、文句を言いたげな表情をとったところで気にも留めない。泰然自若、というのか、年の功というのか、はたまた、仕事柄身についたものであるのかは定かではないが、とにかく嫌いなのだ。 「とにかく、先生への用があったのでしたら私が御用聞きを致します。書き置きを残されるのでしたらそこの、電話機の横にあるものをお使いください。そうしてさっさとお帰りください。私は汁粉に専念しますから、これ以降何も話さないものとお思いになってください。」 正直、この軍人野郎に敬語を使ってやるというのは癪なものだが、あまりに無下に扱っているのを先生に見られると、また、仲良くしてちょうだいよ、なんて先生を困らせてしまう。一度ならず経験しているというのに繰り返すのは、さすがに申し訳がなかった。先生の気を惹きたい、先生に構ってもらいたい、とは思うのだけれど、そういう先生を困らせるやり方だけは、したくないのだ。 「いや、待つ。あいつのことだ、然程遠くへは行っていないだろう。」 私は宣言通り、軍人野郎のその言葉を無視した。 それからしばらくが経って、帰ってきた先生は泥だらけだった。着物の裾も、膝までも、なんなら腕も肩も頬も、乾いた泥に覆われていた。どうしたんですか、と聞く前にその理由は、私の嫌いなあの猫から語られた。 「烏に襲われたところ、此奴が儂を抱えてくれてな。」 私は、猫が言葉を話したことよりも、その言葉が妙に爺臭かったことよりも、その猫が泥だらけの毛を先生の足に甘えるようにすり寄せるせいで先生の着物にまた泥がついていることよりも、その猫を伴いいかにも満足げに、「私の見立ては間違っていなかったろう」と言いたげな顔で三和土に立つ先生を見て、手に持った汁粉の椀を落としそうになった。 「……確認するまでもないけれど、彼は怪異化している。猫又というやつだね。今の名前はチャコさんだそうだ。」 「あの女はどうやら、儂を雌だと思ったらしい。」 「人間には、人間以外の雄雌の区別があまりつかないからねえ。許してやっておくれ、チャコさん。」 先生を朝風呂に押し込み、きれいな服を用意し、居間に汁粉を四人分用意して、私がやっと落ち着いた時には、風呂上りで顔色のいい先生が、事情を説明する、と、猫を膝に置いて笑っていた。
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