his story 01

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 その日、遥斗は委員会の仕事で俺と遥香より先に学校に行った。昨日の事もあり、同じ時間に行こうとしたが、朝が弱い遥香に付いていて欲しいと断られた為、それが出来なかった。きっと、登校中に遥香の体調が悪くなった時の事を考えての事なのだろうが、それでも、その時ばかりは遥斗の側にいれば良かったと後に後悔する事になるとは思ってもいなかったのだ。  遥香と一緒に登校し昇降口で別れ、それぞれ別の教室に向かう。俺達三人は、クラスがバラバラだった。  俺はその昇降口がある階の一番端にある自分の教室に足を進めている途中、廊下の窓側に立ち外を見ながら話してる男子生徒二人の会話が耳に入った。 「ーーなあ、なんかあいつら滅茶苦茶やばいことしてたけど、先生に言いに行った方が良くないか?」 「ああ、さっきの。でも、俺達顔見られちゃったし、先生にチクったのばれたら面倒じゃね? あいつら、ちょっとやばい先輩と仲が良いって聞くし」 「でもさ、囲まれてた奴って、柳さんの双子の兄だろ? もし彼女が知ったら可哀想じゃないか……」  ーーえ? 「ねえ、今の話何……?」  一人の男子生徒が言った名前に足がピタリと止まり、迷うこと無くその子に声を掛ける。  男子生徒二人は俺の顔を見るなり驚いた表情を見せたが、「あー、俺達が言ったって言わないで欲しいんだけど」と気まずそうに口を開いた。  彼らが話す内容に、俺の身体から体温が静かに無くなっていく。  ーー“用があって理科準備室に行った帰り、この時間誰もいない筈のその階の上から声がしたから二人で見に行ったら、そこの男子トイレで、柳さんの兄が複数人に囲まれててさ、何かヤバそうだったよ……“  気付いたら走ってた。  そこが廊下だとか、誰かに肩がぶつかったとか、気にしていられなかった。  遥斗が、遥斗が……っ!  理科準備室のある棟は、授業がない限り、ホームルーム前は人気がなく先生も来ないので静かな所だった。そしてその棟の最上階は、今はもう使われていない視聴覚室や文化部の元部室などがあり、そこには文化祭などイベントで使った小道具が置かれているような所で、滅多なことがない限り誰も近寄らない。  だから、その階のトイレなんて、誰かを痛い目に合わすのには最高の場所だった。 「ーーはは、お前、本当に男かよ」 「何その小さいの、本当についてんのかよ? この歳でそれはヤバいんじゃん?」 「女の子のお前にはさ、男物の下着より女物の下着の方がお似合いだろ? ほら、ちょうど安かったから買ったんだよ、お前の為に」 「うわ、やべー、それ、めっちゃエロいじゃん」 「や、やだ、やめて、やめてよ……! そんなの嫌だっ……」 「授業中、ずっとこれでも履いとけよ、ハルちゃん」 「嫌だ、放して……っ!」  階段を何段か飛ばして駆け上がる。焦りも混ざり目的の場所が近付くにつれ息が上がり始めた頃、下品な男達の声の中に遥斗の悲痛な叫びが聞こえた。  一瞬だけ足が止まりかけたが、直ぐに足を速め迷わずその扉を開けた。 「ーー遥斗!」  バンーーと開けた扉が反対側の壁に勢い良くぶつかる音が響き、一瞬だけ静かになる。  男子生徒達は驚いた表情で一斉に此方を振り向く。誰か一人が「げ、瀧本じゃん」と小さく呟いたのが聞こえた。 「……瑠依……?」 「っ……!?」  トイレの奥で遥斗と目が合った。  その姿を見て、息が止まった。  何人かに羽交い締めにされながら、上の制服は乱れ、下は無理矢理脱がされたのか、何も身に付けていない状態で、片足に女物の下着が膝の所に掛けられていた。  殴られて脅されたのか、遥斗の頬は赤く腫れていた。 「ーー良かったね、ハルちゃん。男役の登場だよ。てーかさ、ほら、やっぱりホモじゃん、お前ら。昨日のお礼にと思ってさ、瀧本が喜ぶようにハルちゃんをもっと女の子にさせてあげようと思ってこんなの用意しちゃった」  数で有利だと思っているのか、昨日、俺に髪を引っ張られた奴がにやにやとしながら何か意味分からない事を言っている。  こんなのというのは、遥斗の足に引っ掛けられてる女性物の下着の事だろう。  虫酸どころではない。  こいつが喋るだけで空気が汚れる。 「うるさい」 「っ……いっ!?」  気付いたらソイツを殴っていた。  一発じゃ気が済まない、二発、三発、四発……。ソイツが動かなくなっても気がおさまらなかった。  とりあえず何か喚いて俺を殴ろうとしてきた奴から片っ端から殴った。当然、自分の頬にも誰だか知らない奴の拳が当たる……が、怒りが世程強いのか、痛さを感じなかった。腕だけじゃ全然足りない、そう思ったら自然と足が出た。  人を殴るのは初めての事だったが、遥香がヤンキー漫画が大好きな事もあって、どこを殴れば相手が倒れるのか何となく頭に入っていた。後は漫画の通り身体を動かせば良いだけだ。勿論、漫画のようにはいかない。相手を殴れば、それが自分にも返ってきて目の前がチカチカする。しかし、見様見真似でやってみると、そこそこ相手の痛いところに当たっているようだった。 「瑠依……! もうやめて、もう良いから! これ以上したら死んじゃうかもしれない……!」 「何で止めんの? ちょっと痛い目に会うくらいがクズ達にはちょうどいいでしょ」 「だからって、これは、ちょっとどころじゃいよっ」  許さない、許して良い筈がない。  許したら、遥斗にこんな事した奴らは、明日にはケロッとしてまた似たようなゲスな事をするんだ。  想像しただけで、憎悪がわく。  反省しない奴に情などわくはずもなく、こういう輩は、丁寧に説いたり無視などしても一向に自らの行いを悔いたりしない、だから、一度痛い目にあった方が良い。こいつらには恐怖が一番の良薬なのだから。 「っが……!」  一体、何人を何発殴ったか分からない。  それでも腹の中の虫は治まることを知らない。 「瑠依、もうやめてよ! そんなに殴ったら、瑠依の手も痛いでしょっ。 それに、誰かを傷付けるってことは誰かが悲しい気持ちになるってことだよっ、だから、やめようよ、もう、ね? やめよ?」 「……っ」  遥斗が後ろから抱きついてきた。俺の身体の動きを必死に止めようとしている事に気付き、そこで漸く冷静さが戻ってきた。 「……ごめん、遥斗。俺、やりすぎた……」  辺りを見回すと、遥斗を囲っていた奴等の大半が怯えたような目を向け、「痛ぇ」と悲痛な声の後に、小声で「もう行こうぜ」と話してるのが聞こえる。   「やりすぎたじゃないよ、もう……」  取り巻きの二名くらいがトイレを出ていくのを見ながら、遥斗は自分の身形を直しつつ、安堵と呆れが混ざったような声で言った。 「くそ、きめーんだよ……!」  意識が戻ったのか、一番最初に殴った奴が懲りずに暴言を吐く。  こいつ、学習しないのか……?  怒りを通り越し呆れるが、恐らくこの男が主犯各だろう。もう一発殴っとくか? 「ホモ同士、まじできめぇんだよっ……!」  彼の何がそうさせるのか、勝敗が決まっているのになお、俺に殴られた頬を抑えながら喚く。  そこでトイレの入り口の扉が大きな音を立てた。 「ーー私の家族を虐めてる奴ってどいつ?」  そこには鬼の形相をした遥香の姿があった。 「っ! ハル……ちゃん?」  遥斗が驚いた表情を見せた後、遥香が遥斗に駆け寄って抱き締めた。 「バカ遥斗、何かあったら直ぐに私に言ってっていつも言ってるじゃん。どうして……、もうっ」 「……心配掛けたくなくて……、ごめん」 「謝るのは遥斗じゃないよ。……そこの君、確か私に振られた人だよね? もしかしてその逆恨みで遥斗を虐めてたの?」 「っ……、逆恨みじゃ……」  遥香の言った事が合っているのか、黙る主犯らしい男子生徒は気まずそうに視線を逸らす。 「だってそいつホモだし……、瀧本も。見てて目障りなんだよ。イライラして、こっちがおかしくなりそう」 「は?」  俺と遥香の声が重なった。  不快な奴はとことん不快な事を言う。 「ぼっ……、僕はホモじゃない……! 何回もそう言ってるじゃん……」 「遥斗……」  遥斗の言葉を聞いて、遥香がそっとその震える手を握った。 「そんなの遥斗を傷付けて良い理由にはならないし、どんな理由があろうと、あなたの憂さ晴らしの為に私の大切な遥斗を虐めるなんて許さない、絶対に。自分のやった事を正当化する為に相手を貶める事をするなんて、自分を恥ずかしいと思った方が良い」  怒りでいっぱいな筈なのに、感情的に行動した俺とは違い、遥香はいつもの凛とした声で堂々とした態度をとり、相手を黙らせた。 「だいたい瑠依がホモって何それ、めっちゃつまらない冗談なんだけど? 瑠依が誰とも付き合わないのは既に誰かと付き合ってるって事なんだけど、そんな事も気付かないなんて、ばっかじゃかいの? ーーていうか、私の彼氏なんですけど」  ーーは? 「……え……?」 「おい、遥香、何言って……」 「瑠依は黙ってて」  全く身に覚えのない事が、遥香の口からさも真実かのように飛び出した。  何か策があるのか、彼女の言われた通り、口を挟まないで様子を見る。 「付き合ってるのか、お前ら……?」 「そうよ。恥ずかしいから皆には内緒にしてたの。でも、その結果、全く関係のない遥斗が、瑠依と一緒にホモだって虐められるくらいなら、皆にばらした方がマシ。だから理解してくれたかな? 私があなたを振ったのは、既に瑠依と付き合ってるからで、遥斗は瑠依と付き合ってもいなければホモでもないの。遥斗が女っぽく見えるのは、幼い頃からずっと私の我が儘に付き合ってくれていたからなだけ。こんな説明、わざわざする必要無いと思うんだけど、その足りない頭で少しでも理解して欲しくて丁寧に教えてあげたんだから、もう二度と遥斗に近付かないでね。ーー二度目は無いから」 「は、はい……」  遥香が脅すように言うと、その男子生徒は声を裏返しながら弱々しく返事をした。  そしてちょうどそのタイミングで、「おい、お前ら何やってるんだ!」と先生の張り詰めた声が響き渡る。  入ってきた先生は遥斗の担任だった。目の前の現状を見るなり、顔を曇らせ眉間に皺を寄せた。「とりあえず状況を一人一人確認するからこの場で待ってなさい」そう言うと、深い溜め息を吐きながら携帯を取り出し、「相沢先生」と俺の担任の名字を言った。恐らく先生一人じゃどうにも出来ないから、俺の担任を呼んだのだろう。  明らかに頬を殴った跡がある男子生徒が数名、衣類が乱れてる男子生徒が一人、男子トイレにいる女子生徒一人、誰がどう見てもただ事じゃない。先生が頭を抱える気持ちも分からないでもない。  「瑠依、あなたがもっとうまくやらないから大事になりそうよ」と小さく呟く遥香に、小さく溜め息が漏れる。  そこで、ずっと静かな遥斗が気にかかり声を掛けると、「大丈夫」と弱々しく返されたが、心配は止まらない。  暫くして先生が何人か来て、各自別々の部屋で話を聞かれる。自分の処分など興味なく、嘘をつく必要もないので正直に話した。  先生と話している間も、遥斗の事が気掛かりだった。
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