0人が本棚に入れています
本棚に追加
旅立ち
――暗い。暗い。暗い。
――怖い。
労働種としての自身が特に優れている夜目。わたしは、夜目が利く。けれど、素足で走るぺたぺたと続く音が響く裏通りは暗い。とても、とても。それはまるで今の気分を表しているかのようだった。
耳を澄ませる。頭の上の猫のような三角の耳を動かして音を拾う。どんな音であろうとも聞き逃さないように耳をすませて、必死に音を聞く。
走るわたしの荒い息遣い。石畳を走るわたしの足音。複合高層機関時計塔が奏でる共振器(オルゴール)の音色。夜行機関が奏でる静かな駆動音。
そして、わたしを追う者たちの足音と息遣い。石畳を忙しなく叩くブーツの靴音が鋭く夜の通りへと反響する。どんどん、どんどん、近づいてくる。
「い、やぁ」
走って。走って。走る。捕まりたくない。もうあの場所には戻りたくない。いつ死んでもおかしくない穴倉にはもう戻りたくなかった。
崩落で仲間が死んだ。鞭打ちで隣の子が死んだ。毎日、毎日、毎日、誰かが死んでいく。次は、自分かもしれない。そんな恐怖で夜も眠れない。
だから、走る。追ってくる足音から逃げるように。裏通りを走って、開く扉を探す。都市の外に出ることはできない。
既にそこには追手がいる。都市の外に出る為の全ての門に追手がいる。壁を越えることはできる。けれど、疲れ切った身体では。傷を受けている身体では無理だ。
だから、傷を治し、体力を戻す為の隠れ家がいる。どこか隠れられる場所を。朝まで隠れられる場所を探す。
「おね、がぃ」
開かない。開かない。開かない。裏通りに面した扉は、開かない。綺麗な扉も。汚い扉も。壊れかけの扉ですら全て施錠されている。
蒸気犯罪者のせいだ。都市の暗がりで人を殺す、あるいは盗みを行う怪人。蒸気機関文明が生んだ闇。
都市の暗がりに潜むという切り裂き魔の存在が裏通りに警戒という名の鎖をかけている。
だから、裏通りの扉は開くことはない。
最初のコメントを投稿しよう!