第1章 有島行きの列車

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 車窓の外に一匹のカモメが見えた。表が灰色、裏が白の翼をはためかせ、モノレールと並走するようにして飛翔している。その背景には水彩画のように淡い色の青空と太陽の光を受けて煌く海が広がっている。  しかし、カモメの泣き声や波の音などは聞こえてこない。窓ガラス一枚だけで外の音は完全に遮断されていた。聞こえてくるのは車内のざわめきのみ。座席を埋める乗客から日本語、中国語、タイ語などいくつもの言語が放たれ、無国籍な雰囲気が醸し出されている。  真野沙耶が左腕に付けていた腕時計型の携帯電話が振動して着信を知らせた。足立洋平からの着信。彼女は少し迷いながらも応答することにした。ここは日本でありながらもう日本ではない。日本式のマナーを守る必要もないように感じた。  携帯電話に指先で軽く触れると、小さなディスプレイから約十センチ四方の平面のホログラムがヒュッと浮き上がる。そこに応答と拒否の二つのボタン。応答に触れるとホログラムが下から指で押されたかのように盛り上がり、洋平の上半身の立体映像を形成した。 「おまえ今どこ?」  洋平のホログラムが口を開いた。ジェルで固めた髪の毛や無精ひげの一本一本まで細かに再現されている。まるで沙耶の左腕から小人の妖精が上半身だけを覗かせているかのような不思議な光景だった。 「モノレール。もうすぐ有島に到着するよ」  洋平の携帯電話からも同じように彼女の立体映像が映されているはずだった。 「今日バイトは?」 「入ってる。ラストまで」 「じゃあ、健吾といっしょに適当な時間に行くわ。聴いてもらいたいものがある。俺たちの新曲が完成したんだ」 「わあ、すごい!」 「俺が作曲で、健吾が作詞。はじめての共作だ」 「あ、そうだ。私も報告があるんだ。私たちのバンド名を考えたの」  洋平をリーダーとするロックバンドを結成したのは約一年前のことだった。しかし、そのバンド名はなかなか決まらず、洋平が仮に付けたヨーヘーズというふざけた名前のまま今までずっと活動を続けていた。 「ダンデリオンというのはどう?」 「お、かっこいいな。なんて意味だ?」 「たんぽぽ」 「却下」 「なんでよ!」 「幼稚園のクラスじゃないんだからな。それならまだヨーヘーズのほうがましだよ」 「いや、俺はなかなか良いと思うよ」
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