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第八章 歯医者
「おかあさん、元気!」
それが、いつも行く歯医者の定番の挨拶だった。
その歯医者との出会いは学生時代にまでさかのぼる。一年間インスタントラーメンのみを食した下宿生活が祟ったのか、もともとそうだったのか、口中の歯が全て虫歯に侵された。近所の歯医者に行くと大喜び、これでしばらくは稼げると踏んだんだろう。祐一にしても、治してもらえる分にはそれで構わなかった。ただ、一点が食い違った。治療と称して歯は削るのはいいが、治せなかったのである。「なんでや、なんでなんや、原因が分からん」と独り言を言っては、際限なく歯を削っていった。
このままでは、治療という正義の名のもと、全ての歯を台無しにされる。そう悩んでいた時に紹介してもらったのが今の歯医者だった。社交家だった母はこの手で自分の友達も、この歯医者に紹介したらしい。歯医者にしてもお客が増えて大喜び。歯医者は祐一にも愛想が良かった。
「石田さんは、エライ。私は石田さんのことを尊敬しているんだ」
いくら客だからと言っても、訳も説明せずに持ち上げられても、困惑するばかり。
「私も母親と同居していたのですがね。嫁がね、あまりにも母親にひどい扱いをするものですから、嫁に叱りつけたのですよ。そしたら、嫁が逆切れしちゃって、収拾がつかなくなってね。それで、母親と別居することになってね。自分はダメだと思ったね。そこに行くと石田さんはずっと同居を続けているからたいしたものですよ」
祐一には返す言葉がなかった。祐一は歯医者の言うたいしたことをしたわけではなく、その反対の何もしなかったのである。
嫁姑戦争で嫁と姑が一対一で戦っている時は、二人だけの攻防戦。両社の引きつ引かれつの綱引き合戦であり、それなりに力の均衡が保たれている。しかし、そこに第三者がどちらかに加担すると、その均衡が崩れ、一気に破綻する。祐一はそのことを分かっていて、家の中の空気になることを決め込んでいただけだった。
結果論的には、その姿勢のおかげで破局的な対立までには発展せず、亡くなるその日まで同居を続けることになるのであるが。
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