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「この所物騒な話ばかり聞きます。どんなことがあっても絶対無事で帰ってきて。もしあなたを失うことになったら私は耐えられないわ」
「……ええ」
逢魔が時とはよく言ったものだ。あの日――彼女が床に臥す原因となった日――と同じやけに赤くて夕陽のせいで、街は禍々しい空気に満たされている。
「失う、か」
残酷だな、とため息をつく。私は彼女をとっくの昔に失っているも同然なのに。
彼女の身体は順調に回復し、枝垂桜が舞う頃には、床を上げることができた。
「あなたのおかげです。感謝してもしきれないわ」
「そんな、お礼など身にあまります」
彼女の目は一点の曇りもなく真っ直ぐ私を見つめている。耐え切れず、私は目を伏せた。
確かに彼女の体は十分に回復している。しかし――それは「体」だけだ。
「そろそろ、外にも出られるかしら。あなたからも父上頼んでみてくださらない? 右大臣さま」
その言葉に、一瞬息が止まる。この先何度聞いても、慣れることなどないのだろう。亡くなってしまった兄上を呼び続ける彼女の声になど。
私と兄上と彼女は、物心ついた時からずっと一緒だった。貴族の娘らしからぬ真っ直ぐな強さを持つ彼女に恋心を抱いたのは、私の方が先だったと思う。しかしいつからか兄上と彼女の距離が近くなり、私には入り込めない親密な空気が流れるようになった。
兄上は華やかな空気を身にまとっていたし、女性の扱い方も良く心得ていたため、色事の噂も絶えなかった。皆をうまく動かし、仕事の覚えも速く、機転が利く。
そんな兄上だったが、ただ一つ苦手としていることがあった。それは恋文を書き、歌を贈ることだ。なんとも意外だったが、兄上はそういう時私に代筆を頼んでいた。
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