かくしごと1

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 ある日、兄上はいつものように私にこう頼んだ。 「恋文を代筆してくれないか」 「ええ、構いませんよ。今度はどなた宛てです?」 「それが、な……」  彼は珍しく照れたように口ごもり、とうとうこの日がきたか、と私はため息をついた。 「姫君、ですか」 「ああ、あらためて文を書こうとすると照れてしまってな」 「もう、口でいえばよろしいのでは?」 「やはりこういうのは手順があるだろ? 文は外せない」 「そういうところは頑ななんですな」 ほんの少しの悪戯心で、私はさらに言い募った。 「ご自分で書かれてみてはいかがです。知らぬ仲でもないのですし。そのほうが下手でも心が伝わるというものですよ」 「頼む、書いてくれ」  押し切られる形で私は筆をとった。複雑な思いとは裏腹にさらさらと筆は進む。出来あがった文に萩の花を添えて兄上に渡し、そっと自らの恋心に蓋をした。兄上はほっとしたようにため息をついた。その様子に本気で彼女を愛していると知り、私は潔く身を引くこうと、そう決意したはずだった。  その三日後。自室で読書をしていると、兄上が私の部屋の戸をばたん、とあけてずかずかと入って来た。相当急いだのだろう、肩で息をしている兄上の背中ごしに西日が差しこんでいた。 「今から姫君のところへ行く、来てくれないか」  私は困惑した。 「そんな、お二人水入らずのほうがよろしいでしょう?」 「いや、きみを連れて行かないと彼女に愛想をつかされてしまうかもしれない」 「事情は良く分かりませんが、たとえそうだとしてもです。一体どうなさったのですか」  私が軽くため息をつくと、兄上は頭を掻いた。 「いやあ、やはり親しい仲にかくしごとはできないな。文の代筆をきみに頼んだのがすっかりばれてしまっていた」 「あなたに文才が無いことなどとうに彼女はお見通しです。それに、ばれていたとしても、いつも他の女性たちにしているように適当なことを言ってごまかしたらよいではありませんか」  私の軽口を兄上は笑って受け流したが、すぐにうなだれてしまった。 「後生だ、頼む、ついてきてくれ」 「仕方有りませんね。今度だけですよ。全く、いつもはしっかりしていらっしゃるというのに。これでは愛想を尽かされて当然です」
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