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イヤホンをなくした。
ショックだった。
だって、一万五千円もしたのに。
どこに行ってしまったのか、かなり探したのに見つからなかったのだ。
職場のビルを出ると、既に外は真っ暗闇だった。
赤色も、橙さえない。
あるのはチカチカと鬱陶しい外灯だけ。
あぁ、帰るのが億劫だ。
ひび割れたコンクリートの上を歩き出す。
だって私にはそうするしかないのだから。
幸い、駅は歩いて十分。
近いと言えば近い。
けれど不幸なことに、今日は真夏日に等しい暑さだ。
未だ梅雨も迎えていないというのに。
既に背中はじんわりと熱を持ち、頬を汗が伝う。
細い路地を抜け大通りへ出ると、途端に騒がしくなる。
車の行き交う音、バイクや車のエンジン音。
誰かの話し声、誰かの笑い声。
犬の声、猫の声、歩く音、虫の声、街路樹が風に靡いて触れる音。
全て、全て、全て煩わしい。
独り言が漏れていないか心配だ。
イライラすると、無意識で出てしまうことがあるから。
なんとか駅に辿り着いても、そこには更に地獄が広がっている。
縦横無尽に闊歩する人、耳をつんざく構内放送、テナントから漏れ聞こえる音楽。
甘い匂い、辛い匂い、こちらを見ずに歩く、人。
まるで街路樹のようだ。
カサカサ、カサカサ。
煩わしい。
イヤホンがないだけで、音楽で蓋をしないだけで、この世はこんなに簡単に地獄となる。
いっそ目を閉じて、耳を塞いで、鼻を摘まんで、彼らより少し上を飛んでゆこうか。
そう思ったが、よく考えなくても私には手が二本しかないし、翼も生えていなかった。
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