第一幕 月に降りた腕時計

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「さて。何のことやら? はっはっは」  しらばっくれる店長は、芝居がかった仕草で呵々大笑(かかたいしょう)した。  絶対わざとだ。絶対。  店の規則では前金不足だが、店員のミスということでうやむやのうちに処理し、やむを得ず取り置きを成立させるという体裁を採ったのだ。 「というわけで、前金二〇万円を大至急、引き出して来ていただけますか?」 「いいのか! ありがとよ……恩に着るぜ……マジでありがとう……!」  学生が、売約を結べた喜びに舞い上がった。  店長と時花を拝み倒し、涙ながらに感謝を述べる有様だ。 (私のドジも使いよう、ってことでしょうか?)  欠点でしかなかった『ドジ』すらも、店長は有効活用してみせた。  利点へと昇華してくれたのだ。そこに彼の懐の大きさと優しさを感じずに居られない。 「じゃあちょっくら、前金と印鑑を取りに行って来る!」  学生は涙を拭い、一目散に店を出て行った。  一件落着である。  ほっと胸を撫で下ろす時花は、肩をそびやかす店長と顔を見合わせて、互いに笑った。 「今回もお疲れ様でした、店長♪」 「当然のことをしたまでです」片目をつぶる店長。「喜んでいただける人のもとに、最適な品物を贈る……それが僕たちの幸福です。時計とともに歩んで行く時間こそが、人の心を解きほぐす(・・・・・)のです」  そのために店長は独立したのだ。  最高の営業スマイルが、そこにあった。  時花は彼の笑顔に魅入られた。見れば見るほど顔面が熱くなる。頭から湯気が出る。 (私、このお店に再就職できて良かったです!)  心の底から、そう思える。  古物時計店の『時ほぐし』。  時計のことなら彼にお任せ。ここには想いを(きざ)むエキスパートが、皆様のご来店をお待ちしている。 第一幕――了 (第二幕に続く)
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