第一幕 月に降りた腕時計

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 会釈を返しながら、時花は耳を疑った。  アラサーには見えない。せいぜい二〇代半ばだと思っていた。男性の割に綺麗な肌ツヤ、聡明で彫りの深い顔立ち、物腰柔らかな佇まいなどが、彼を若々しく演出する。  何よりも、あの笑顔だ。  屈託のない営業スマイル。あれがとにかく眩しい。あんな微笑みを向けられたら時花は照れて正視できないし、人当たりの良さが彼を瑞々(みずみず)しく引き立てる。 (かっこいい人ですね……)  時花は柄にもなく男性を品定めしてしまった。それも初対面の、雇い主になるかも知れない上司を。  しばらくニートだったせいか、異性に耐性がなかった。ぽ~っと見とれてしまう。美男子が笑顔で親身に接したら、孤独な乙女はホイホイなびかれるに決まっている。 (あ、やばいです、体が熱い……店長の瞳に引き込まれそうです)  久々に外出した緊張感で『吊り橋効果』が発生しているだけの可能性もあったが、このときの時花が気付くはずもない。 「ざっと履歴書を拝見しましたが」  履歴書を一読した店長は、時花へ視線を戻す。 「事務の経験があるなら、パソコンは使えますね。簿記二級を持っていらっしゃるので、経理も得意。うん、僕の要求を満たしていますね」 「はい、ありがとうございます……」  褒められた。  時花は我知らず、顔が火照る。心臓が破裂しそうなほど早鐘(はやがね)を打った。 「というわけで風師さん、即決で採用です」 「はい………………って、え? さ、採用っ?」
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