第一幕 月に降りた腕時計

22/40
63人が本棚に入れています
本棚に追加
/42ページ
   3. 「ふむふむ。そのお客様の特徴を、もう少し詳しく聞かせて下さい」  店長は時花の報告を受けると、興味深く耳を傾けた。  特定の品物に執着を持つ客が多いことは、以前も話した。なぜなら高額物件はそのまま財産になり得るからだ。相応のこだわりがあるからこそ固執するのである。 (一つの商品に目を付ける人には、一定の法則性があるみたいですね……)  時花は何となくパターンを発見できた気がした。窃盗未遂がそうだったように。 「このオメガの腕時計を、食い入るように眺めてました!」  時花は該当する展示品をてのひらで示した。  先ほどのスピードマスター、一九六九年モデルである。ゴールドで彩られた丸い文字盤が美しい。リューズは右側に三つあり、革製のバンドが高貴な輪を描いている。  店長は嬉笑(きしょう)とともに何度も首肯してみせた。 「これを欲しがるとは、そのお客様はお目が高いですよ。オメガだけにお目が(・・・)高い」 「…………店長もダジャレとかおっしゃるんですね……ちょっと意外です」 「これは失敬」苦笑する店長。「そのお客様は、年輩の方でしたか?」 「いいえ、若い人でした。ローンすら組めない学生だと名乗っていました」 「若い? それは奇怪ですね」 「お店の防犯カメラにも映ってると思いますよ。しばらく私と会話してましたから」  時花は身振り手振りで先刻の状況を伝えた。  この立ち位置ならば、人相も背格好もばっちりカメラに映ったはずだ。  けれども店長は「いえ、それには及びませんよ」と左手で制し、黄金(こがね)色に輝くスピードマスターへ右手を伸ばした。  手にはショー・ケースの鍵が握られている。すでに防犯ブザーを切っておいたのか、慣れた手付きで解錠してのけた。(くだん)の高級腕時計を掴み取って、外へ持ち出す。 「わ、わ」  時花の声が(うわ)ずった。視線こそ時計に釘付けだが、腰が引けてしまう。目と鼻の先に二六四万円が煌めいているのだから、無理もない。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!