第一幕 月に降りた腕時計

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 風師時花は当年とって二三歳になる、うら若き才媛――のはず(・・・)だった。  国立の有名大学を卒業し、取得した簿記二級を武器に大手商社の経理部へ就職した。  研修期間をそつなくこなし、上司や同期からも一目置かれ、順風満帆なOL生活が幕を開けると信じてやまなかった。  ――そうなるはず(・・・・・・)だったのだ。  彼女は現在、ひぃこら再就職に励んでいる。 (私、勉強だけは出来ますけど、それ以外がからっきし駄目なんですよね……性格ものろまですし……)  電車で二駅ほど移動してから、時花は下車した。  念のため、駅が間違っていないか何度も確認する。階段で転ばぬよう慎重にヒールの感触を認識してから、一歩ずつ進んだ。改札を出るだけで息も絶え絶えだ。 (ドジっ子、天然ボケ、間が抜けてる、不器用……いろいろ言われては来ましたけど)  頭が良いだけでは、社会人は務まらない。  仕事は人間力が試される。臨機応変な機転、咄嗟の判断、対人能力、会話力、気遣い。  その点において、時花は最低だった。のんびり、おっとり、と言えば聞こえは良いが、悪く言えば愚図(ぐず)でのろまで鈍臭(どんくさ)い。  研修期間は上司に教わったことをこなすだけだが、いざ実務に投入されると、必ずしもマニュアル通りには進まない。予想外のハプニング、急用、電話応対、同時進行に追われて能率が上がらないなど、時花は数々の失態をさらした。  前評判の才色兼備はどこへやら、あっという間にお荷物の烙印を押されたのだ。 (極め付けが、決算書の記入漏れと計算ミスとか……エクセルの列がズレてマクロがとんでもないことになったり……)肩を落として歩く時花。(……簿記二級が泣きますね)  今さら反省しても栓なきことではある。  これから新たな就職面接へ向かうときに、ネガティブな過去を思い返している時点で救いようがない。
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