煩悶

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 午後の電車は空いている。  二人が乗車するのと入れ違いに大部分の客が降りてしまい、まばらにしか乗っていない。智のアパートは、家賃が安い分、寂れた街にある。だから便利で大きな駅からは少し遠い。  イベント会場で歩き回ったせいか、イスに掛けると気が緩んだ。横並びのタケルはパンフレットを見直している。外は今にも溶けるような暑さだったから、冷房がきいた車内は別世界のように心地よかった。ガタゴトいう適度な揺れに身を任せて、目を閉じる。眠くはなかったが疲れがほどける気がする。  そうしているうちに次の駅がやってきて、また何人かの客が降りた。うっすら目を開けて駅名を確認する。まだしばらく時間がかかると思い、また目を閉じる。  人がいないのをいいことに座席に投げ出すように置いていた手のひらは、もろに冷風をあびて早くも指先が冷えはじめていた。智のやっかいな体は、暑さにも冷房にも弱い。  その手を、タケルがすっと握った。  え、と思ったが、声に出せなかった。  タケルは、その手を握ったまま、智の手を自分の上着のポケットに入れた。パーカーのポケットの中は、タオル地みたいに柔らかくてふわんと暖かい。  ぎゅっと握った手は、一向にそのまま離れる気配がない。どうした、と問えば、指が冷たかったからね、といつものおどけた調子で答えて終わりだろう。  そうは思ったが、智はそのまま、盗み見るように一瞬だけ目を開けた。  タケルの横顔は、怒っているのかと思うほど真面目で、唇を噛みしめるようにして、ただ床を見つめていた。智の指先からじんわり伝わる気配を味わうだけなのに。  ふいにきゅっと心臓が竦んだ。  ずっと交わしてきた冗談は、冗談ではなかったのかもしれない。  タケルはもしかして、本気なのかもしれない。    その手を握っている理由を問えば、今すぐにでもこの関係が変わってしまうぐらいに。
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