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努。
私の父、努は九州の出身です。
努の家は旧家であり、伝統を重んじ頑固一徹の父、その後ろをそっと歩く母。そんな両親の長男として、小さい頃からしきたりや礼儀作法など様々な教育を施されて来ました。
努が小学5年生の頃、突然母は家を出て行きました。旧家であり、まして舅・姑や義理の兄弟も一緒の生活で虐げられ、我慢に我慢の末の決断です。
しきたりを重んじ雁字搦めの生活の中で、努の唯一のよりどころであった母が突然いなくなる。努の心は寂しさと置いていかれた悲しみ孤独から、旧家だの家柄だのと言う事に心底嫌気がさしていました。
そんな中、努が高校を卒業する頃、母の親族から連絡があり、母が病気で余命わずかと言う事を知らされ、努はいてもたってもいられず高校を卒業するとすぐ、母の看病をする為に東京に上京をしました。
母と再会し、嬉しく愛おしくこのままずっと一緒にいたい。そんな気持ちも空しく、再会し間もなく母は亡くなりました。
悲しみの中、家に帰る気持ちには全くなれず、父の反対を押しのけ東京で一人で生活して行く事を決意し、就職したのが美津子と出逢う事になるパン工場です。
仕事をしていると、今までの暗く寂しく雁字搦めになっていた努の心は段々と和らぎ、人と交わる楽しさを初めて感じる日々を送っておりました。
そんな中、仕事で不意に通り過ぎた女の子。努はその場から動けなくなってしまいました。いわゆる「一目惚れ」です。
実は努には、親の決めた「いいなずけ」がおりました。ですがその時はもう「通り過ぎた女の子」の事でいっぱいです。職場の同僚に力を借り、女の子の名前が「美津子」である事。どの部所で働いているのかなど突き止め、こっそり美津子を垣間見るようになっていきました。
そして、工場での親睦会。どうにか美津子の近くに行こうとしたのですが、部所が違う事もあり、美津子の席からかなり離れてしまいました。だけれど
「どうにか俺の事を知ってもらいたい」
そわそわ緊張しているので、お酒のペースも上がってしまいます。努自身、お酒が強くありませんので、気が付けばもうヨレヨレです。
「えいっ、この際だ。叫んでしまおうっ」
美津子に届けと言わんばかりに
「俺はみっちゃんの事を好いとうばいっ。」
大声で叫んでいました。
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