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一緒に踊って
少女は思い出していた。その花の色、匂い。ピンクとオレンジの花弁が鮮やかだった。
花屋には見たこともない花が沢山あって、その花弁を一枚ずつ集めればこの世界のすべてを手に入れた気になれた。けれど少女はそんなことはしない。何故なら少女は既にすべてを手に入れていて、故に何一つ手に入れられることはなかったから。少女はその運命を淡々と受け入れた。受け入れるしかなかった。少女は神様だったから。
「そのお花きれいだね」
そんな屈託のない声で異性に話し掛けられるのは少年期の特権かも知れない。
「うん、きれい」
「なんてなまえか知ってる?」
「知らない」
「ぼく、お母さんに聞いてこようか?」
「うん、ありがとう」
少年は満面の笑みを浮かべて少女に背を向け、おかあさーん、と叫んだ。
あのね、あの子が見てるお花、なんていうなまえ? と少年が駆け付けた母親に言って振り向いた時、そこに少女の姿はなかった。どのお花のこと? と戸惑いがちに問う母親の声に、少年は生まれて初めてこの世界は自分を中心に回っている訳ではないことを教えられた。その感情に水を遣り過ぎると、それは君の心に根を張って、君はそこから一歩も動けなくなる。その感情は恥と言う。だから我慢せずに泣きなさい。少女はビルの屋上の縁に腰掛けて花屋を見下ろしていた。その方がよっぽど勇敢なんだから。
少女はビルから飛び降りて、そのまま地面に溶けた。あの花を、人間たちはオンシジウムと名付けた。花言葉は、「一緒に踊って」。
今、少女は宇宙の果ての、その更に外側に居る。ピンクとオレンジの花弁をイメージしながら左手の指を小指から親指まで順に開いて行くと、宇宙の中に一つの星が誕生した。その星は彼女の死に場所だ。そこにはこの世のものとは思えないような彩りが咲き誇っている。今わの際に花に看取られながら逝くのも、悪くないかもね。退屈で死にそうで、けれど死ぬことを赦されない少女は来るべきその一瞬を、永遠に待った。視界の端で花弁が舞った。
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