昔のはなし

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「あの人は、いないんですか?」 「ん?あの人?」 「光道様の、息子さんです」 いつものようにお寺に来ていた。そして、最近気になっていたことを、私は思い切って光道様に聞いてみた。 「あー、光定は今修練に行ってるよ。あと一週間くらいで帰ってくると思うよ」 「そうなんですか」 光道様の息子さんは、私が来る日はだいたいここにいた。だから、ここ一週間姿が見えない事に、少し疑問を感じていた。 「何かあの子に用かい?」 「え、いや。いつもいる人がいなかったので、気になっただけで」 「そうかい」 本当に用があった訳ではないので、私は素直にそう答えた。というか、私は彼が苦手だ。綺麗な顔をして、貼り付けたような愛想笑いと、テンプレートのような優しい言葉。私が持っていないものを持っている彼が疎ましくて、捻くれた私の心には、彼がそう映っていた。だから、彼が挨拶をしてきても、私は会釈をするだけで挨拶も返さなかった。 だけど、最近の彼は、少し変わった気がする。それとも、私の心に余裕が出来たからなのか、彼の雰囲気が光道様に似てきた気がする。私が彼に関心を持ち始めるきっかけとしては、それで十分だった。 「あの子も、これからの道を迷ってる所なんだよ」 「え?」 「あの子の母親は、私が小さい頃に亡くなってね。それからあの子はここで、私と二人で生きてきたんだ。あの子にとって、仏様との生活は当たり前のものだったんだよ。それが、いけなかったのかな。あの子は、昔から迷ってるんだよ」 「そう、なんですか。仏様とそして光道様と一緒の生活が小さい頃から出来るなんて、私としては羨ましいです。けど、それも有無同然なのかな」 「ふふ、そうだね。有っても無くても、人は迷い悩むんだよ」 「光道様」 「ん?」 「なんでその話を私に?」 「あれ、本当だ。なんでだろう」 そう言いながら微笑む光道様の真意が、私には分からなかった。それでも、なんでも持っていると思っていた彼も、私のように悩んでいる。そう聞いたら今まで自分が勝手に彼のことを妬み避けていたのが恥ずかしくなった。次は、挨拶されたら、返してみようかな...。
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