昔のはなし

9/20

825人が本棚に入れています
本棚に追加
/98ページ
その後、久しぶりにお寺に行くと、彼が説法していた。緊張していて、光道様のように落ち着いた子守唄のような説法ではないけれど、一生懸命話す彼の言葉は心に響いた。 「山田さん」 いつも通り光道様と少し話しをしてから帰ろうとすると誰かに呼び止められた。振り返るとそこには、先程まで若い女性達に囲まれていたはずの彼がいた。 「山田さん、俺の説法どうでした?皆は良かったって言ってくれるんですけど、父さんの説法を一番一生懸命聴いてる山田さんにどうだったのか聞きたくて。山田さんだったら、正直にいってくれると思って」 息を切らしながらそう言ってくる彼。余程急いでいたのか、言葉遣いもいつもより砕けていてる。感想だったら、私よりも光道様の説法を長年聴いているご老人達の方がいいだろうに、と思いながら、この間の会話を覚えていてくれたのか、わざわざ聞きに来てくれた事に、胸が高鳴るのを隠すため、こっそり左手をきつく握りしめた。 「良かった、ですよ。確かに、光道様みたいな安心感はなかったですけど、勉強になりました。また、聴きにきます」 素直によかったと伝えればいいのに、天邪鬼な私の口はそんな風にしか彼に言葉を伝えることが出来なかった。あー、どうして私は、あの女性達みたいに可愛く素直に出来ないんだろう。そう自己嫌悪に浸りながら、私はすぐ彼から視線を外し門の方へと歩き出した。すると、その後すぐ私の後ろから、「ありがとう。またここで待ってます」という彼の声が聞こえた。 あー、こうやってモテる人達は女性を喜ばせるのか。と思いながらも、素直に喜んでいる私の心を落ち着かせるため、大きくため息をついた。
/98ページ

最初のコメントを投稿しよう!

825人が本棚に入れています
本棚に追加