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かえらずの式
7年にたった1度の式年祭、その目玉となる祭事といえば、なんといっても嫁御行列だ。
皆が皆、白い法被を纏い、目元を広く覆うのは朱を刷いた狐の面。
行列がしずしずと進む一歩ごとに、足首につけた鈴飾りが、しゃらん、しゃらりらと軽やかな音を立てる。
古典的な笙や篠笛の音が伸びやかに山をこだまして、ああ、面の口元が開いているのは演奏のためだったかと、大人になって初めて僕は思い至った。
行列は、地元の青年団がその御役を担って練り歩くのが常なのだが、出戻りの僕もまた――青年団に入るには些か歳を食い過ぎているが――氏子だから構わないと、その列に加えられていた。
昔は知った顔ばかりが居並ぶ行事だった式年祭も、情報化社会のおかげか、独特の祭事なのもあって、地域外からの観光客も参道に多く見られた。
山の人間かそうでないかは、狐面の有無で判別がつく。
きちんと面をかぶるのは今や行列への参列者くらいのものだが、祭り見物するだけであっても、大人は必ずそれを携行するのが決まりだ。
この山間の地域一帯の住人は皆、山ひとつを丸々、御神体、御神域とするこの神社の氏子で、成人を迎えると必ずその子に一つ、狐面を新調するのが習わしだった。
成人前に地元を離れた僕も、後にご多分に漏れず自分用の面を贈られた。
東京にいる間は使い道もないので、ずっと実家のタンスの肥やしだったが。
うんと幼い頃は、大人ばかりお面をもらえていいなぁとか、そんなことをのんきに思っていた気がする。
それより少し長じてからは、まるで狐の嫁入りみたいだな、と。
だが、違うのだ。
行列に連れられて、嫁入りするのは人間の子どもだ。
大人たちだけが、狐のふりをしているのだ。
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