開幕

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 鬼はひどく生活に困窮しているらしい。米や菜はおろか、豆ですら口にできない。多摩川の水とても、錆びた鉄の味がするとて、到底飲めるものではなかったという。強いて食えるものを上げるとするなら、時折人間が落としていく残飯だとか、落としてしまった菓子類だけだという。鬼とはいえ家族もいる。その家族を養うためには、空き家に侵入してそこを住処とし、近辺の民家から夜ごとその家の主人に気付かれぬよう米三合と飲料水一升を得て、辛うじて妻と子供一人と分け合って生活していたという。はじめはよかったが、妻はこの鬼と同じく次第にやせこけ、免疫力が下がりきったところで、病、息もつかせる暇もなく息を引き取ってしまい、子供の方はと言えば、つらく苦しい生活に嫌気がさして逃走、縁を切ってどこか遠くの方へ去ってしまったようだ。私は、この鬼の話を聞くにつけ、次第に鬼に対して持っていた学術的興味が次第に、憐憫の情へと変わっていったことを胸の裡に実感した。なんとも哀れな話である。私は、鬼のために何かできることはないだろうか、と考え、そのまま鬼に問うてみた。すると鬼は、まずひどく腹が減っていて動くこともままならず、このままでは餓死してしまうだろうからと、何でもいいから食料を求めた。私はすぐさま最寄りのコンビニに向かい、適当に菓子パン三つ、おにぎり二つ、それから飲料水を購入し、まようことなく鬼のもとへ戻った。鬼はその飯に喜々としてありつき、ものの二分ですべてを平らげてしまった。餓死寸前だったから、これくらい早くても無理はないだろうと胸の裡で合点がいく。この日は、鬼の深々とした礼を背に帰路に就いた。  次の日も、私は鬼のもとに赴き、何か手伝えることはないか、と尋ねた。鬼は相変わらず、腹が減ったからと食料の提供を求めた。すぐにコンビニに赴き、適当に籠に食べ物を次から次へと投げ込んで、総額二五〇〇円ほどであろうか、それを鬼のもとへと運び与えた。鬼はそれを躊躇もせずに平らげ、大きなため息をふうとつくと、いぎたなく眠りについた。
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