第1章

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「もちろん、わたしたちは、お客様のストレス解消の相手になる必要は無いのよ。でも、怒っている人に対して言葉を尽くしてみても、それは逆効果だと思うの」  と穏やかな声で言ってきた。  わたしはそれでも納得がいかなかった。結局のところ、それは「お客様は神様」だということにつながらないだろうか。わたしは、神の相手などしたくない。人間の相手をしたい。そうはっきりと言うと、店長は微笑むだけで、もう答えなかった。それは、わたしの言うことを受け入れてくれたようでもあり、怒っている人にまともに反論してもしようがないというルールをわたしに対して適用したようでもあった。  後日のこと、またわたしが一人で店に入っていた昼、店の前で急にふらりと倒れた女性がいて、確かめると例の三重線の人だった。 「大丈夫ですか?」  彼女に対してはいい感情を抱いていなかったわけだけれど、それはそれ、これはこれ、店先で倒れられたら介抱するしかない。近寄って助け起こすと、 「ごめんなさいね」  としおらしい声を出して、夜勤明けで寝ていないのだと言い出した。  それを聞いた瞬間、わたしは、わたしにわたしの人生があるのと同じように、この人にもこの人の人生があるというごく当たり前の事実に気がついた。わたしがわたしの人生を懸命に生きているのと同様――まあ、まだまだ努力が足りないところはあるかもしれないけれど――、この人も懸命に生きている。それに気がついたときに、この三重線おばさんのことが少しだけ愛おしくなった。 「ありがとう、もう大丈夫よ」  婦人は、弱々しげに微笑んで、買い物かごを持って、スーパーの食品コーナーへと歩き去った。  お客様は神様ではなく人間だった。だからこそ許さなければいけないときがある、ということを初めて知った瞬間だった。もちろん、わたしは聖女ではないので、誰でも彼でも許せるようになったわけじゃないけれど、でも、少なくとも許す可能性を手に入れたということである。  わたしには、結婚して家を出た姉が一人、そうして、双子の妹が一人いる。この双子の妹は、高校を卒業したあと、専門学校に通っていた。わたしは就職したのに、妹が学校に行っていることに関して、含むところがないと言えばウソになるけれど、仮にわたしが専門学校に行けば、妹が行けないことになって、であれば、どっちもどっちだという気がした。
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