大きな看板

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 あれよあれよの間に新しい役が降ってきたかと思うと、すぐに消えて無くなるドタバタだったが、私の場合は出演できるだけで嬉しい。たとえそれが死体役だったとしても、である。  一方、菜緒さんには葛藤があったようだ。マネージャーからこの話を聞いた時、ちょっと考えさせて欲しいと言ったのである。チョイ役でもセリフもあるし、エンドロールに役名付きで記される。けっして悪い話ではない。際どい仕事でも二つ返事で引き受ける菜緒さんなので、脱ぐことに抵抗があるとも思えず、訊ねてみた。 「お仕事をためらうなんて、らしくないないですね」 「そうかな、ちょっと場違いかも知れないって気になってね」 「場違い、ですか?」  菜緒さんの使った場違いの意味はよく分からなかった。私のような洟垂(はなた)れだったら不相応で場違いかもって考えるけど、彼女はれっきとした業界人だ。女優を名乗るのに自称なんて付けなくてもいい。 「場違いっていうんじゃなくて怖がってるのかな、菜純の姉って言うだけであれだし」  本人にその意識がなくても、菜純さんの名前をひけらかしているヤツみたいな中傷があるかも知れないというのだ。以前、菜緒さんと二人で社長にご馳走になった時に「筧菜純の姉」という看板が話題に上った。大きすぎて下ろせない看板なんだけどねと言って、その時の菜緒さんは笑っていた。  いまの事務所に移籍してからは、そうした看板を積極的に使っていないし、かといって意図的に隠したりもしない、言ってみれば看板も含めての筧菜緒であるとの割り切りができるようになったのだそうだ。ただ、そんなスタンスで事が運ぶのは、地味でマイナーな仕事である。トレンドの最前線はそれこそ生き馬の目を抜く世界、筧菜純と人気を競ったアイドルたちが活躍している現場に出ると、やはり看板の大きさ重さは気になるらしい。  もっとも、今回の仕事に限って言えばほとんど杞憂である。というのも菜緒さん演じるコールガールは、出番が極めて少ないからだ。結果、菜緒さんの関わる撮影も一日で終わり、その範囲では何のトラブルも無かった。ただ彼女が抱いていた不安は後々現実のものとなってしまう。
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