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「姉はずっとこの指輪をしていました。これを見ながらあなたのお話をする時はとても楽しそうで、わたし、何度あなたに電話しようと思ったかしれません。でも、姉に固く止められていたから……」
誠司は指輪の小箱を受け取った。
俯いた少女の口元から声が立ち昇ってきた。
「どうして? どうして来てくれなかったんですか? 五年も付き合って、姉のこと分からなかったんですか? 姉はずっとあなたのこと待ってたんだと思います。それなのに……」
小刻みに細い肩を揺らす少女の前に、誠司はハンカチを差し出した。謝ることは容易だったが、あえてそうはしなかった。誠司の言葉が本心からか、それとも慰めから発せられたものかを聞き分けられる年だろうし、たとえそうでなかったとしても、そうであってほしいという気持ちがあった。
「君から見て、お姉さんはどんな人だった?」
埋め合わせのようにした問いに、
「綺麗な……いいえ、綺麗すぎる人です」
涙を拭ったハンカチを返しながら奈津は答えた。その答えには誠司も全く同意だった。
――自分の美しさが同情によって汚されるのを嫌ったんだ。
病に侵された己を見る恋人の目に憐みが混ぜられるのを避けるため、今日子は一芝居打ったという訳である。誠司の態度が変わることを恐れて、早々に手を打ったということなのだろう。
病気にまつわるあれやこれやから鮮やかに退いたその手並みはさすがという所だが、誠司にはやりきれない思いが残った。
「姉はあなたのことを愛していました」
しめやかに言う奈津に誠司は反論はしなかった。確かにそうだったかもしれない。しかし、誠司よりも自分自身を愛していたのではないか。
葬儀場から移動した火葬場で、今日子が荼毘に付されるのを見届けてから、誠司は帰路を取った。
再び車を走らせながら、今日子のことを考えていた。
彼女の奇妙な行動の説明はついたが、つかない方が良かったのではないか、という思いがある。死の連絡などもらわず、静かに彼女のことを忘れていけた方が心穏やかだった。
結局の所、彼女は誠司を信じなかったのだ。そういう思いが誠司には消し難く残る。病になったことを告げれば誠司が心変わりするかもしれない。心変わりとまでは行かないにせよ、何らか二人の間の関係が癌という一事をもって変わると思ったのだろう。
――人を馬鹿にした考え方だ。
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