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そう毒を吐きながらも、先生の白く綺麗な手が私の教材を拾い集めてくれた。すみません、と言うと同時に、先生の手の動きがピタリと止まった。その原因は私が持っていた楽譜にあった。何度も何度も楽譜を読み込んではいろいろ書き込んだりして、それでも上手く弾けなくて、どうしようもなくなった私の感情によって黒く塗り潰された楽譜だったから。すぐに手で隠したものの、一度先生の視界に入ってしまったからには既に時遅く、先生の視線が楽譜から私へと移った。まずい、怒られる。咄嗟にそう思った。
「わかるよ、俺もこうだった」
『...え?』
「でも、見える結果が全てじゃない」
「おまえは、そう思わないのか」
と言って優しく微笑んだ先生が、私を暗闇から救い上げてくれた。その言葉に、どれほど救われたことだろう。私は瞬く間に先生への想いが募ってしまった。それからというもの、私は熱心な生徒という仮面を被り、度々先生の元に訪れていた。もちろんピアノを上達させたいという気持ちもあったが、先生と親密になりたいという気持ちの方が強かったのだ。想いは募る一方で、素っ気なく感じられた話し方もぶっきらぼうなだけだと分かったり、先生がピアノを弾く時に目を瞑る仕草に愛おしさを感じるようになった。自分自身でも怖いくらいに、先生のことを愛してしまった。
だけど、そんな幸せな日々は永遠に続くはずもなくて、大学4年生の冬に突然終わりを告げられる。
「あれ?桜井先生、結婚したんですか?」
先生の講義が終わり、今日はもう授業がないから帰宅しようと席を立とうとした途端、そんな言葉が耳に入った。ひとりの女生徒が先生の手を見て問いただしたのだ。
「...まあな」
「えー!!おめでとうございます!!」
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