こわくない

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こわくない

娘の話は、真面目な妻を、しばらく真面目に考え込ませる内容だったらしい。 「わたしの声って、そんなに怖く聞こえるのかな」 「いやそんなことないと思うけど、娘がこわいって言ってるんだから、その感覚にいったん合わせてあげると、娘も嬉しいんじゃないのかな」 そう答えると、妻はまたしばらく考え込んでしまった。 「わたしもね、最初から怖い声なんじゃないと思うの。でも、なんど言っても娘がちゃんとしてくれないと、声の調子が強くなるのはしょうがないでしょ。そういう時に無理にやさしい声で接し続けるのは難しいなあ」 「無理にやさしい声を出さなくてもいいと思うよ。こわくなければいいんだよ。やさしい、と、こわくない、は似てるけど、こわくないだけなら、やさしいよりハードルは低いんじゃないの?」 「・・・・・・うーん、まあちょっと考えてみるか」 数日後 少しだけ仕事が早く片付いたので20時過ぎぐらいに帰宅したところ、妻が娘を叱っていた。どうやら今回は、遊んだ積み木を片付けないままお絵描きを始めてしまい、そしてなかなかお風呂に入ろうとしないらしい。 ただ、いつもならすぐ泣き出す娘が、今日は妻の言う事を泣かずにちゃんと聞いていた。 娘を叱る妻の顔はいつもどおり真剣そのものだが、声が、小さい。すごく小さい。そして低い声を意図的にゆっくりと出しているようだ。あと、なぜかわからないが、手足を大きく伸ばして、それをゆっくり動かしながら叱っている。 率直に言って、妻の雰囲気は異様で、私は恐怖を感じたが、娘は神妙に妻の言う事を聞いて、それから小さい声でこういった。 「わかったよ、ママ、おかたづけしなくてごめんね」 どうやら、娘にとっては今回のほうが、こわくない、らしい。突然の、我が家の問題の解決の場面に呆然とする私に、妻が、どうだうまくいっただろ、といわんばかりの自慢げな笑顔を向けて、娘をバスルームに連れて行った。 そして、突然わかって、腹の底から笑ってしまった。先ほどの妻の叱り方は、タカアシガニ的な要素を真面目に取り入れたものだったのだ。そうに違いない。 よく知っていたつもりの妻と娘に、まだいろいろと意外な面があるんだなぁと思いながら、脱いだ仕事着を脱衣場に持って行くと、バスルームの扉の向こうから、2人の楽しそうな声が聞こえてきた。
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