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振り返る度に
「ド」が付く程の田舎に住む身としては、溜まったもんじゃない。真昼間の炎天下、自転車のチェーンが外れ、辺り一面田んぼばかりの道を一人、汗を流しながら歩かねばならないのだ。
通る人影は、一つも無い。すれ違う人影も同様だ。
三百六十度、誰も居なかった筈だが、ふと遠く後方で子供の声がした。
振り返ると、百メートル程先に、七、八歳くらいの男の子が居る。
ペンキを全身にぶちまけた様に、血の様な赤い液体でドロドロに汚れ、舗装されてない道を裸足で、下着さえも履かず走ってくる。満面の笑みで目をまん丸に見開きながら、俺に手を振って。
しばらく硬直していたが、底抜けに明るい声が耳に届く様な距離まで子供が近付いたところで、俺は自転車を捨てて全力で逃げた。
高校生と小学校低学年。引き離せない筈が無いのに、背後の声は一向に遠ざかる気配を見せない。
振り返ると、僅かに距離は縮まっていた。
有り得ない、と戦慄し、また前を向いて全速で走る。やはり、声は遠ざからない。
再度振り返ると、また距離は縮まっている。
有り得ない、有り得ない。何度も否定し、何度も振り返る。そして俺は、振り返る度に子供が5メートルほど、瞬間移動でもしたかの様に距離を縮めている事に気付いた。
気付いてから俺は、後ろを振り返らずに走り続ける。まだ民家は遠い。ケラケラと笑い声は近づいてくる。駄目だ、と分かっていながらも、見えない恐怖のあまり、俺は度々後ろを振り返る。その度、少年の距離は縮まった。
距離が、15メートルを切る。今度こそ、と顔を引きつらせながら全力で走るが、声は決して背後から遠ざからない。
炎天下の日差しは容赦無く俺の体力を奪う。
足を止める事は許されず、ただ見えない恐怖に背中を絶えず舐め回されながら、ゲラゲラという子供の笑い声を聞き続ける。
怖い、怖い。振り返って、確認してしまいたい。
子供の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。全身真っ赤なあの子供の笑顔が。
民家まで、あとどれくらいだろう。
俺は泣きながら、ただ限界を超えて足を動かした。
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