神様のひだり手

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【5】 平良勇生(ひららいさお)は急いで帰宅した。 郊外の安いアパートではあるが、愛する家族が待っている。 玄関を開けた。「ただいまー」勇生は部屋の奥へと声を届けた。 「おかえり」 千尋(ちひろ)が玄関まで迎えに来てくれた。 「あら、ケーキ買ってきてくれたの?」 千尋は、勇生が手にぶらさげる洋菓子の包みを見た。 「ああ、あの子が生まれて一週間記念だからな」 「一週間記念だなんて。毎週毎週忙しくなるわね。はははは」 千尋は屈託(くったく)なく笑った。勇生もそれ以上に笑った。 「さてさて。わが家の天使のお顔を眺めようかな」 勇生は靴を脱ぎ、フローリングの廊下を進んだ。 リビングに入ると、部屋の脇にあるベビーベッドに近づき、見下ろした。 新しい家族の寝顔があった。 勇生の心は安らいだ。 仕事の疲れも、リセットボタンを押したように、きれいに消え去っていた。 「パパですよー。いま帰りましたよー」 勇生はやわらかい口調で赤子をあやす。 「かわいい寝顔よね」 隣に千尋が来た。 「ああ。優しそうな顔をしてる」 「まさに、文字通り、ってとこかしら?……なーんてね」 「そうだな。きっと優しい子に育つさ」   ――この子以上、この世の奇跡はない―― 平良夫婦は、 「ねえ、(まさる)」と名前を呼び、 赤ん坊のひだり手を小さく握った。
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