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 数回のコールの後、低い声が輝流の鼓膜を震わせ、ほぅっと肩の力が抜けた。 「――駈?」 『輝流さま? 随分と息が切れているように思いますが……』  野宮家が築いた事業実績を継続する主体企業をはじめ、傘下となっている数多くの企業をたった一人で纏めている駈の責任は大きい。  それを背負いながらも、どんな時でも輝流のことを最優先に考えてくれる駈には感謝しかない。その反面、これ以上彼に迷惑をかけたくない、依存したくないという気持ちもどこかにあった。 「体が変なんだ……。熱くて……。でも、熱はないみたい」 『――輝流さまっ。すぐに参ります! いつもお迎えに上がる正面玄関ではなく、裏口の方に回れますか?』 「大丈夫、だ……よ。多分、風邪だと思う……から、心配……し、ないで」  通話を終了し、手摺に縋る様にして階段を下りた輝流は足を止め、無意識に息を殺した。  学生が主に使用する正面出入口とは別に、併設されている学生寮への近道として使われている裏口がある。教師たちは専用の通用口を使うので、そこは滅多に人の出入りはない。まして、部外者がいることはあり得ない。  しかし、輝流はその扉の前に佇む見知った顔を見つけ、驚きを隠せずに目を見開いた。そして、忌々し気に小さく舌打ちした。  部外者が入ることのないその場所にいたのは叔父の春日井(かすがい)晴也(はるや)だった。  亡くなった隼刀と実の兄弟とは思えないほど不仲で、事あるごとに野宮の家に出入りしては兄である隼刀に金をせびっていた。彼が養子に入った春日井家はそれなりに裕福な家ではあったが、一代で富を築いた義父が亡くなると、その遺産を金遣いの荒い妻が湯水のように使い、ホスト遊びにかなりの金をつぎ込み、挙句の果てに闇金から多額の金を借りるまでになっていた。義父から引き継いだ会社も経営不振から何度も傾きかけ、そのたびに隼刀が援助していたらしい。  代々続く名門、野宮家において晴也の存在は恥じるべきものであり、同時に『前代未聞のクズ』と噂されることを誰も快く思ってはいなかった。  当主であった隼刀の財産を狙っていた晴也。三年前の交通事故も、彼が仕組んだのではないかと噂されたが、証拠は何一つ見つからなかった。
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