通り雨の夜の後

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「へ? あ、え?」  意味のない言葉を口の中で転がして、近堂は頭の中で繰り返した。先輩の部屋に、泊まる。自分が。動揺のあまり思考がまとまらない。先輩が少し眠たそうな目で、じっとこちらを見ている。ざあざあと雨が屋根を叩く音。こんなに空気は湿っぽいのに、口の中はからからに乾いていた。 「いやあ、さすがに申し訳ないんで帰りますよ、」  どうにか立て直した近堂は、出来る限りいつものような顔で笑った。 「先輩も早く寝てくださいね?」  いつものように、ただの、先輩の妹の同級生として笑えていたと思う。中途半端な姿勢でいた上半身を起こし台所の流しに向かう。空っぽの缶の中身を綺麗に洗い、ゴミをまとめた近堂が部屋に戻ると、先輩は何かをじっと考えているようだった。 「じゃあ、失礼します」 「ちょっと。聞きたいこと、あるんだけど」  先輩の横をすり抜けようとした時、腕を掴まれた。熱い手のひらだった。声を上げそうになるのをなんとか飲み込み、不埒な何かがこみ上げそうになるのをどうにか押し殺して、近堂は恐る恐るその手のひらの主に目線を向けた。 「あの、先輩?」 「いいからもう。泊まっていけ」  強い力だった。先輩は小柄だが筋肉質で、酔いのせいで加減が利かないのか、思い切り引っ張られた上腕が痛む。無理矢理元の位置に座らされた近堂は顔を顰めて見せる。今だけは雨に感謝したい気持ちだった。うるさく騒ぐ心臓の音も全てかき消してくれる。 「えっと、聞きたいことっていうのは……」 「お前、サッカー部だったんだな」  落とされた言葉は予想外のものだった。近堂は一度もその話をしたことがない。こうして一緒にサッカーの海外リーグを観戦するようになっても、近堂はその事実を告げようとは思わなかった。 「今日さ、加藤に会ったんだよ。俺らの代のキャプテン。知ってんだろ?」 「……はい、もちろん」  中学から憧れ続けた先輩と同じチームになることを夢見て、入学した高校のサッカー部に彼の姿はなかった。聞けば、ちょうど近堂が入学する一ヶ月前、先輩は前十字靱帯断裂という大怪我を負ったのだという。当時高校三年生だった先輩は、全治八ヶ月以上、リハビリも含めれば復帰まで約一年かかると診断され退部を選んだ。結局、近堂が先輩と同じチームでサッカーをすることはなかった。 「あいつにお前のこと聞いた。エースでめちゃめちゃ上手かったって」
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