通り雨の夜の後

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 予報にない雨だった。バイトの帰り道、ずぶ濡れになった近堂は慌てて近くのコンビニに駆け込んだ。改札を出たときから辺りを覆う湿っぽい空気に嫌な予感はしていたが、ここまで降られるのは予想外だった。生憎タオルの用意もない。歩いたそばからぽたぽたと床に水滴が落ちていく。近堂に出来るのは、せいぜい店内を無駄にうろつかないことくらいだった。  買ったばかりのビニール傘を差し、見上げた空はむしろ先ほどよりも雨脚が酷くなっている気がする。傘からはみ出たビニール袋がどんどん濡れていくことに気づき、近堂は慌てて身を縮こまらせた。せっかく買った四百円の弁当が台無しになるのは避けたい。基本的に自炊をする習慣が身についてはいるものの、どうしても今日は料理をする気になれなかった。 『ちょっと、明日は友達と飲んでくるから』  昨日の先輩の声が蘇る。今日は先輩の一押しのチームの試合が予定されており、あわよくば二日連続で一緒に過ごせるかもしれないと密かに募らせていた期待は呆気なく散った。ほうれん草のおひたしを咀嚼しながら、ぱちぱちと瞬きをしていた横顔。先輩は和食のほうが好きなようで、少しだけ、食べているときの反応が違う。それは一度に頬張る量だとか、頬張ったもの飲み込むタイミングだとか、ほんのささやかな動作に現れる微妙な変化で、近堂がそんなところまで見ていると知られたらドン引きされるであろうことは容易に想像がついた。  近堂が初めて先輩の家に訪れてから、早五ヶ月。自分の存在を認知してもらって、それなりに距離は近づいた、と思う。中学のとき観に行った県大会で活躍する姿を目にした日から憧れ続け、そのくせ一度も話したことはなく――友人の助けがあったとはいえ、一方的に片思いを拗らせた末に大学まで追いかけたことを考えたら、先輩の部屋に日常的に入り浸るなんて夢のような状況だ。しかし。それ以上を、と望むのは欲張りだろうか。  不意に昨日の先輩の横顔が脳裏に浮かぶ。じい、と食卓に並んだ皿を眺めて、嬉しそうに綻んだ口元。近堂は叫び出したくなった。知れば知るほど、どんどん好きになる。はあ、と口から漏れたのは重苦しいため息だった。 「……友達と会うって、誰かなあ」  独りごちて、近堂は再び歩き出した。速歩きで水溜まりを勢いよく蹴飛ばしながら見えてきたアパート、未練がましく見上げた先輩の部屋には、明かりが灯っていた。
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