最終章 二人で歩む道

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 約束の日、ホリーは緊張でガチガチになりながらルーク教授の執務室を訪れていた。  一緒に来てくれたクラウスにはげまされて、ようやく挨拶が出来る。 「お、お久し振りです! あ、改めてまひて、ホリーと申しまっしゅ!」  緊張しているとろくな事が無い。まるでロルフに初めて挨拶した時のように盛大に噛んでしまって、ホリーは下げた頭を上げる事が出来なかった。 「……ルークだ。この度は急な依頼を快く引き受けて貰い、感謝している」  提案したのはクラウスだが、それを受けたルーク教授は改めて救助隊からの依頼としてホリーに委嘱状を出してくれた。  これは個人として重要なイベントに手出しをする身勝手では無く、きちんと依頼を受けた事を意味し、謂れのない非難からホリーを守ってくれるものだ。  クラウスの提案を聞くや否や、ルーク教授はスラスラと委嘱状を記して最速で宰相の許可印を頂いてくれたのだ。  クラウスは「あの方は人より十も百も先を考えて率先して行動出来る凄い方なんだ」と、ロルフに向けるのと同じ、尊敬の眼差しを向けていた。  大事な仕事を任されたのだから、精一杯応えねば。ホリーは慌てて再度頭を下げ直して、 「は、ははは、はひ! 精一杯頑張りまっしゅ!」  気負うあまり更にかみかみの返事をするホリーをルーク教授の隣に居たグレイスが柔らかに笑って流してくれた。 「ホホホ、なんて可愛らしい。気になさらないで、ホリーさん。この人が怖い顔なのは、生まれつきなの。ほら、あなた。こんな可愛らしいホリーさんにまでしかめっ面は無いでしょう」  もう浮気を疑ったりしませんわ、とグレイスが朗らかに微笑むと、ルーク教授は更に眉間の皺を深くした。 「そういうアレでは無い。私はこれで、普通だ」  百歩譲っても激昂しているようにしか見えない。今、この瞬間にも雷が落ちそうな顔のルーク教授と向き合うにはかなりの胆力が必要とされる。  つい、優しく微笑んでくれているグレイスに目が行ってしまうのは仕方ない事なのだと、ホリーはこじつけた。 「では、メニューを改めさせて貰おう」 「はい……」  ホリーは今まで、学校と名のつく所に通った事が無い。読み書きは全て母から習い、簡単な計算の仕方も仕事の中で覚えていったのだ。  少しでも暮らしに余裕があれば手習い所で学べるのだが、どのみち女の子を歓迎してくれる所は無い。「家の手伝いをしろ」と追い出されるのが目に見える。  つまり、母が認めてくれたとは言え、自己流な訳で。国家最難関のアカデミーで教鞭を取っていた教授には気に障るものかもしれない。  おそるおそる差し出したメニュー表を、ルーク教授は丁寧に両手で受け取ってくれた。 「ふむ……」 「あ、あの、字が読みにくいようでしたら、ご説明を……」 「いや、美しい文字だ。大変読みやすい」  ほんの僅か、ルーク教授の眉間の皺が取れた気がした。たったそれだけなのに、ホリーはルーク教授のような凄いお方に認めて貰った気がして、部屋を訪れた時とは違う意味で顔が熱くなった。 「ルーク教授が人を褒める所など、初めて見たよ」 「そ、そうなのですか? 褒めて、頂いたのでしょうか……」  小声で教えてくれたクラウスの言葉も嬉しくて、ホリーは顔中で笑ってしまいそうなのを抑えきれない。  クラウスからの助言通り、メニューを一通り記した後に全ての料理の詳細な作り方や材料について書いてあるので、読むのには少し時間がかかる。  その間、グレイスが椅子を勧めてくれたが、ホリーはクラウスと共に立ったままで待ち続けた。  ルーク教授は黙々とメニューを読むと丁寧に折りたたんで、 「内容についていくつか質問しても良いだろうか」 「は、はい!」 「このグラタンと言う料理を私は食べた事が無いのだが、玉ネギがたっぷり入るようだな」 「はい! ええと、い、炒めた玉ネギや鶏肉、それに……」 「うむ」  気のせいか、実に楽しそうに身を乗り出しているようだ。 「美味しそうだこと。ホリーさん、そのグラタン? と言うお料理、私にも教えて下さるかしら? この人、玉ネギが大好きなのですよ」 「む……」  ホリーは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。変な鼻息になってお行儀が悪いのだが、笑い転げるよりはマシな筈だ。  ルーク教授は名だたる悪童達から必ず、「玉ネギ」とあだ名を付けられる。それは短く切りそろえた髪が何故だか何時も前髪だけくるんと立ち上がっており、薄茶色の髪色もあって後ろから見ると、細身だが皮を剥く前の玉ネギそのもの。  玉ネギは、玉ネギが大好物。共食い、と思ってしまうと、もう笑いを我慢するのが辛くて仕方ない。  笑ってはいけない場となれば、なおさらだ。 (助けて、クラウスさん!)  何とか笑いを噛み殺したが、何かの拍子に粗相をしてしまいそうだ。だが、頼りのクラウスも必死で笑いと戦っていた。  生真面目な顔のままなのはさすがだが、肩が細かく震えている。目に見えない必死の戦いを軽やかな笑い声が打ち破った。 「フフフ、おかしいでしょう? 共食いだと、良く言われるのですよ。ミゲル隊長からでしたかしら、ねえ、あなた」 「……好物なのだから、仕方あるまい」 「ええ、そういう訳ですから、私にも作り方を詳しく教えて下さいね!」 「は、はい!」  クラウスから何時も通りのメニューで良いと言われたので普段から作り慣れているものばかりでメニューを組んだのだが、概ね好評とは言え不安が残る。 (お祝いとしてはどうなのかしら。私、特別な料理なんて作れないし……)  その知識も技術も無い。確か火の国の宮廷料理人は、とても食べ物とは思えない程の精巧な鳥を野菜だけで作る事が出来るとか……伝説の料理人の象った鳥が本当に命を得て天高く舞い上がったとか……そんな物は無理だとしても。  ホリーのメニューには圧倒的に華やかさが足りない。庶民の家庭料理を、ちょっと豪華にするくらいの技術しか無い。  気楽にホリーと手紙のやり取りをしているが、ラアナは世界中でもたった五人しか認定されていない魔導師で、この土の国大切な国賓。一国を預かる公主とほぼ同等の立場なのだ。 「我が国の風土に合った、良いメニューだ。だが」  やはり、華やかさが足りない、ホリーでは力不足と言われるのかと思ったが、違うようだ。ルーク教授は部屋の奥に目配せした。 「出席する人数を考慮すると、一人では無理だろう。幸い、手伝いをしたいと申し出てくれた二人と、ついでに暇な男を手伝いに使いなさい」 「手伝い?」  奥の扉に目を向けると、悪戯が見付かった子供みたいな顔をしたナナが慌てて引っ込み、直ぐに澄ました顔で出直して来た。  隣には、「仕方ないな、こいつは」と言いたげに苦笑しているグイドの姿もある。 「ホリーちゃん、あたしも手伝うわよ!」
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