最終章 二人で歩む道

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 会食の片付けをナナ達に任せて、ホリーは慌ただしく身支度にかかった。いつのまにかロルフが準備してくれていた純白のドレスに着替えて鏡に映した時、ふいに懐かしく感じられた。 「きれい……」 「キューン!」  アーニャも足元で「きれいよ!」と言ってくれているようだ。  他のお嫁さん達のように沢山の華やかな宝石が散りばめられている事も無い。だが、上品な光沢のある生地にキラキラ輝く刺繍糸で、細かな刺繍が丹念に縫い込まれている。  袖口は花びらのようにカットされ、ホリーはまるで花そのものを身に纏っているようだ。 (私……このドレス、知ってる?)  ドレスなんて一生に一度しか着る機会の無い物だ。日常的にドレスを纏う貴族のお嬢様でなければ滅多にお目にかかる物では無い。  それでも、ホリーは今来ているドレスを見た事があった。  記憶を辿ると、一枚の肖像画に辿り着く。母が大事にしていた、結婚式の肖像画だ。ホリーはその肖像画が大好きで、飽きもせずに毎日うっとり眺めていたものだった。 『おひめさまみたい! おかあさん?』 『フフ、そうよ、ホリー。お母さんがお父さんと結婚した時の肖像画ね』 『ホリーもおひめさまになりたい!』 『そうね、 ホリーに一番好きな人が出来たら……』  必ず、お母さんがホリーをお姫様にしてあげる。そう、母と約束した。 「良かった、ぴったりね。さすがはロルフ様のお見立てだこと」  鏡の中に、ホリーの背後で微笑む母の姿が映っていた。慌てて振り返ったら、消えてしまうかも知れない。  必死で我慢して、そろそろと振り返る。母は消えず、優しく微笑んでいてくれた。 「お、おかあさ……」  もう、我慢など出来なかった。涙で顔をぐしゃぐしゃにして抱きついてしまう。フンワリとカモミールの香り……母が好んで使う自家製石鹸の香りだ。 「あらあら。お化粧する前で良かったこと」 「おかぁさぁん! うああん!」 「はいはい、ここに居ますよ。今日の身支度は私に任せてね。可愛い娘を送り出すのだから、私以上に適任はいないはずよ」  優しく涙を拭ってくれる母も、涙目だった。 「綺麗になったわね、ホリー。幸せなのね……。貴方が幸せなら、私もとても嬉しいわ」  母はそっとホリーから身を離すと、足元から見上げていたアーニャと視線を合わせて座り込んだ。 「娘を守って下さって、ありがとうございます。アーニャ様」 「フ、フン!」  ツン、と顔をそらしてしまったけれど、ホリーには分かる。 「アーニャ、照れてるわ」 「あらまあ、可愛らしいこと」 「ガゥ!」 「あらあら、出て行っちゃった……。狼って可愛いのね、ホリー。恥ずかしいから出て行ってしまったのね?」 「そうなの。アーニャは照れ屋さんだから」  それでも、扉の向こうでホリーを守っていてくれるだろう、と言うと母は眩しい笑顔を見せてくれた。 (あれ……)  ホリーは母が、こんなにも晴れやかに笑うのを見た事が無かった。ホリーと同じ年頃の娘のように何の陰りもない清々しい笑顔だった。 「このドレス、母さんが大好きな人の隣で着る為に作った物よ。懐かしいわ……流石は私の娘ねぇ! 若い頃の私を見ているみたいだわ」 「今だってお母さんは素敵よ!」 「ウフフ、ありがとう。さあ、クラウス様が惚れ直すくらい、うーんと綺麗になりましょうね!」  母が張り切ってお化粧から髪結いまで全部やってくれて、清楚な真珠のイヤリングとネックレスを丁寧に付けてくれた。 「真珠には、邪気を払う力があると聞くわ。大切な娘がいつまでも元気で健やかでありますように。貴方が大切な家族を守れるように。成人のお祝いよ」 「ありがとう、お母さん!」  女の子が成人すると、母親からアクセサリーを贈って貰う習慣がある。それは母から譲り受ける物であったり、新しく買い求める物であったりと様々。  母が大切にしている指輪も、祖母から貰った物だと聞いた事がある。  嫁ぐ娘に財産を。困った時にはお金に替えて家族を守れるように、と。立場の弱い娘の行く末を照らす、僅かな灯火でもあるのだ。  身支度が整った頃、アーニャが守ってくれている扉がそっとノックされる。 「おーい、リリー。そろそろ良いかな? 早く娘に会わせてくれ」 「もう宜しいですよ、ロルフ様」  待ってました、とばかりにロルフは勢い良く扉を開いて……まじまじとホリーを見つめたまま、固まってしまった。 「あ、あの、ロルフ様……?」 「ん、あ、ああ、すまない。……今更ながら息子に譲るのでは無かったと思ってな。いやぁ、実に惜しいことをしてしまった、ハッハッハ!」 「まあ……」  憧れの人からの最高の賛辞に、ホリーは思わずモジモジと赤くなってしまう。 「リリー、ありがとう。無理を言ってすまなかったと、アルム殿に伝えてくれ」 「いいえ、ロルフ様。大切な一人娘のためならばと、アルム様は快く送り出して下さいました。私の我侭を聞いて聞いて頂き、誠にありがとうございます」  どうやら、知らない内に母とロルフは密かに連絡を取り合っていたらしい。目をパチパチさせていると、入口がにわかに騒がしくなった。 「なにボンヤリしてんだよ? さっさと嫁さんに会いに行けって」 「ま、まだ婚約だけで、嫁になった訳では……」 「何言ってんだ! お前みたいな堅物、ホリーを捕まえておかないと後々困るぞ! ホラ、早くしろって!」  何なら俺が先に様子を伝えてやろうか、とフォルクが扉を僅かに開いたが直ぐに閉じられて、「俺より先に見るな!」とクラウスが怒っている。 「これはまずい。私はいない事にしてくれ。息子に怒られる」  あいつが怒ると、どうも最近アイシャに似ていて怖いのだ、と戯けたロルフは隣の部屋に繋がるドアから出て行ってしまった。 「ホリー、入っても良いか?」  表の声が筒抜けだとは思っていないクラウスが声をかけてきたので、ホリーは母と一緒に笑いを堪えて返事をした。 「どうぞ、クラウスさん」 「支度は……」  整ったのか、と聞きたかったのだろう。クラウスは扉を開いたままで固まってしまった。  クラウスもまた、正規の救助隊員が着る礼服に身を包んでいる。白を基調とした正装は凛々しいクラウスを更に頼もしく見せ、ホリーも思わず見惚れて何も言えなかった。 「綺麗だ」  眩しい光を感じたように目を細めて、クラウスは一言だけ褒めてくれた。 「クラウスさんも、素敵です……」  二人で褒めあった後は何も言葉が続かなくて、揃って俯いてしまう。 「あ、あ、あの、クラウスさん、紹介します。わ、私の母です!」 「あ、ああ。初めまして、クラウスと申します。ご挨拶に伺うべきところ……」 「いいえ、お気遣い無く。初めまして、クラウス様。ホリーの母でございます」  落ち着いているのは母と、クラウスより遅れて部屋に入って来たフォルクだけ。クラウスと揃ってリンゴになっているのを遠慮なくからかわれてしまった。 「そろそろ式典が始まるぞ。会場に移らなくては」  最後に来たフリのロルフが、ホリーと母に、悪戯っ子のようにウィンクした。 「行こう」 「はい!」  クラウスの肘に、そっと手を添える。ホリーは華やかな会場へと足を踏み出した。
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