最終章 二人で歩む道

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 自分と母を捨てて別の女性と逃げたクセに、何の悪びれも無く、「ちょっと行って帰ってきた」くらいの軽い挨拶をされた。 「それ、リリーが作ったんだろ? 相変わらずアイツは器用だな」 「うん……」  あまりにも普通だったので、ホリーは思わず警戒するように後退りしてしまう。 「それにしても、ちゃんと教えろよなぁ? お前が英雄サマの息子と結婚するなんてなぁ」 「……何をしに来たの?」  キナ臭い雰囲気を感じて、ホリーは思わず厳しい声で馴れ馴れしい父と距離をとった。 「何って。挨拶だろ? 俺はお前の父親なんだから。英雄サマのご威光がありゃ、父さんの仕事もサクサク進む訳よ。分かるだろ?」  呆れて、何も言えなかった。つまり、父はホリーが父にとって都合の良い存在になったからノコノコと父親面して帰ってきたのだ。 「……分からないわ。父さんは、私も母さんも捨てて行ったくせに」 「そんな人でなしみたいな言い方やめろよー。俺は、俺の借金にお前達を巻き込みたく無くてだな……」 「全部残して行ったのに? 一緒に逃げた女の人はどうしたの」  父はホリーが、抜け目なく反論する事に驚いているようだ。今までは諦めもあって、ホリーは父に対して反論した事が無かったからだ。 「オイオイ、リリーに何を言われたか知らないが、俺はそこまで悪く無いぜ? アイツだって俺がいない間に適当に楽しんでただろうし」 「楽しむ暇なんて無かったはずよ。母さんは貴方の尻拭いをしていたから。自分でやった事の片付けも出来ない人が、母さんを悪く言わないで」 「お前、ずっとリリーにベッタリだったもんな? そりゃ、分からないだろうなぁ。アイツはとんだ嘘つきなんだぜ」 「母さんの悪口を言わないで!」  思わず、ホリーは繊細な刺繍が施された華奢なバックを父の顔に叩きつけていた。 「……お前なぁ、分かってんのか? 俺がわざわざ、お前が一人になるのを待ってやった訳が」  ホリーはこんなに腹が立った経験など無かった。怒りのあまり頭の中が真っ白で、何だか息苦しい。 「英雄サマの息子は、俺みたいなのが父親だって知ってるのか?」  すぅ、と血の気が引く。クラウスには父のことなど話していない。ロルフも、知らないだろう。でも、こんなだらしない父がいると知れたら……。 (クラウスさんの、迷惑になる……) 「グルル……」  足元から狼の威嚇が聞こえて、アーニャが来てくれたのかと思わず飛びつきたくなったが、違った。 「なんだ、このチビは?」 「ガゥルルル……」  小さな体をどっしり構えて、ホリーを庇ってくれていたのはルナだった。一人前の大人のように、低く響く威嚇。チビと言いながら、父を恐れさせるには十分なようだ。 「ガウ!」  鋭く振り返ったルナはホリーに何か文句を言っているようだ。大方、『しっかりしなさいよ、グズ!』などと言っているのかもしれない。 「ありがとう、ルナ……」 「フン……」  照れ臭そうに顔を背ける所が、アーニャにそっくりだ。 「貴方が、娘におめでとうと言って帰ってくれる人だったら、良かったのだけど」  やっぱり来たのね、と母がホリーの背中を支えるように撫でてくれた。 「母さん……」 「ごめんね、ホリー。あの人の言う通り、私……嘘を付いていたの」 「え……」  父に向かって真っ直ぐ歩いていく母と入れ替わりで、クラウスがホリーを支えてくれた。 「クラウスさん……」 「先に言っておくが……」  クラウスは静かな……柔らかな清流のように涼やかで優しい声で告げた。 「俺が好きなのはホリーだ。ホリーの過去に誰が関わっていようと、俺は何があってもホリーを愛している」  胸が詰まって頷く事しか出来なかった。縋るように震える手を伸ばすと、しっかりと握りしめてくれる。 (だいじょうぶ……何があっても、クラウスさんと一緒なら、大丈夫……)  頼もしいクラウスの腕に抱かれて、ホリーは母の告げる真実と向き合う。 「子供の幸せを邪魔する権利なんて、誰にも無いのよ。母親である私にも、まして、血も繋がらない赤の他人の貴方にも」 「オイオイ、良いのかよ。娘に汚ねえ経歴付ける気か? だから俺が……」 「貰ってやったのよね? 父親のいない子を産もうとしていた私が、言いなりになると思ったから」  母は静かに本当の事を告げた。 「貴女の父親は、貴女がいる事も知らずに死んでしまったの」  ホリーの父親は、風の国からやって来た腕利きの剣士だった。国の使命を帯びた剣士だった。 「名前は、カミーユ。風のように軽やかで爽やかな人だったわ」  彼には、迷宮で育つ特殊な薬草を持ち帰る任務があった。  その薬草は、光を必要としない地下深くにあり、迷宮の奥まで潜らねばならないので危険が多い。救助隊員との連携も必要で、長い逗留を宿で過ごしていた。  その宿は母の親類が経営している宿で、母は手伝いに駆り出されて、彼と出会った。  慎重で思慮深い、賢明な小娘であったのに、母は父と出会った途端に一目惚れしてしまった。そして幸か不幸か、父もリリーに心を奪われてしまった。  身分差など頭から転がり落ち、二人でいる時間は輝く宝石のように貴重な時。愛を囁くだけでは終わらず、父は「この使命を果たしたら、必ず君を迎えに戻る」そう約束して……。 「帰ってこなかった。ううん、帰って来られなくなったの」  貴重な薬草は、時に金塊よりも高級品。小指の爪程の欠けらが、百倍の金塊と交換された事もある程、特に迷宮で採れる貴重な薬草は盗人にとって最高の素材だ。 「薬草を守って、死んでしまったの。国に辿り着く前に」  リリーは想い人の訃報を、当時の警備隊長……ロルフから聞いた。ロルフが遺族の許しを得て持ち帰ってくれた、二人の思い出を閉じ込めたペンダントを渡してくれた。 「それから、私のお腹にホリーがいる事が分かって……私は絶対に産みたいと思った。でも、同時に不安が強かった……」  父親のいない子供など、この国ではまともに取り合って貰えない。普通に生きる事すら難しい。  リリーはお腹の子供を守る為に結婚相手を早急に探さなければならなかった。 「ロルフ様がね、「俺の妾になるか?」って仰って下さったけど、お断りしておいて良かったわね。危うく兄妹になる所だったわよ、貴方たち」  ロルフの妻、アイシャも納得した上で、夫婦でリリーを守ろうとしてくれたのだ。 「父上は……知っておられたのですね。ホリーの事を……」 「ええ。ずっと、見守って下さって……。ホリーが自然とロルフ様に懐いて……」  探した結果、貴族の五男で親族が持て余す放蕩息子が、「貰ってやる」とリリーとの結婚に踏み切ったのだ。貴族の肩書きはあったが、リリーとの結婚は言わば縁を切るきっかけでもあり、その後は貴族生活とは無縁の貧しい暮らしとなったのだった。 「……貴方の残した物は全て清算しました。最後に頂きたいものがあって、待っていました」 「リリー……」 「離縁して下さいな。貴方にとっても都合が宜しいでしょう。お相手に急かされているのでは無いですか? 早く安心させてあげて下さいな」  父は、静かな母の言葉に飲まれて……。離縁状を書いた。 「お判りでしょう? この子は英雄に守られています。昔も、今も。貴方の小さな悪巧みなんて通用しませんわ」  離縁状を受け取った母は、小さく頭を下げた。 「でも、ありがとうございます。今まで私のワガママに付き合って下さって。これからは、ご自分の幸せを考えて下さいませ。さようなら」  キッパリと父に背中を向けて、母はクラウスに丁寧に頭を下げた。 「娘を宜しくお願いします」 「はい。この命に代えても」 「フフ。できるだけ、長生きしてあげて下さいな。この子ったら、とっても寂しがりだから」  にっこりと母は清々しく笑って、「仕事が残っていますので、失礼しますわ」と、主人の家へ戻って行った。  残された父は、ノロノロと椅子から立ち上がり、懐から何か取り出した。 「ほらよ」 「え?」  父がくれたのは、幼かった頃、気まぐれに父がお土産に買って来てくれたお菓子。 「好きだっただろ、それ」 「うん……」  母が作る素朴なお菓子とは真逆の、宝石の様にキラキラ輝く飴で、真っ赤な木の実を絡めた華やかなお菓子。食べるのが勿体なくて眺めていたら、「食べないのかよ」と父に横取りされて大泣きして……。 『うるせぇなぁ、ビービー泣くなよ。分かったよ、また買ってきてやるから、次はさっさと食っちまえ!』  自分でやった事なのに大人気なく怒り、それでも約束通り、度々買って来ては母に内緒で食べさせてくれた。 「じゃあな」 「お、お父さん……」  背中を向けた父が、苦笑いを浮かべて振り返った。 「ばーか。お前もっとしっかりしねぇと、男に騙されるぞ。こんなの父親呼ばわりしてたら駄目だぜ」 「……」  本当は、ただお祝いに来てくれたのでは無いか。わざと嫌われるような事を言って、縁を断ち切る為に来てくれたのでは無いか。  ホリーが聞きたい事は、全部言葉にならなかった。 「……ありがとう……」 「……本当に馬鹿だなぁ、お前は」  もう振り返らず、父は行ってしまった。きっと、もう……二度とは会えないだろう……。 「あいつも、あいつなりに決着を付けたか」  父の背中を見守るホリー達を、丸ごと包むようにロルフが二人を抱きしめた。 「これで、ホリーは正式に私達の家族だ。もう貴族のお遊びに付き合う必要も無い、帰ろう」 「はい……お父様」 「……も、もう一度」 「お父様」 「クラウス、ちょっとホリーを渡せ」 「駄目です。俺のです」 「そっちじゃ無い、親子の抱擁をさせろ! ホリーが初めて、私をお父様、と!」 「駄目です」  クラウスは力一杯ホリーを抱きしめ、ロルフは悔しそうに地団駄を踏む。足元では、いつまでくっついているのかとルナが「クルル!」と鳴き、物凄く頑張ったアーニャが褒めて欲しくてホリーに戯れかかる。 「あ、ちょ、ちょっと待って、ドレスを着替えてから……」  ふと、途中まで一人で着たものの、背中のフックがどうしても止められなくて、母にやって貰った事を思い出した。 「おお、その手のドレスは一人で脱げない構造だからな。クラウス、手伝ってやりなさい」 「……はっ? いや、待って下さい、俺たちはまだ婚約しただけで、その、まだ、ええと」 「なんだ、自信がないなら私が代わるか?」 「駄目です! 俺がやります!」 「いやぁ! クラウスさんのスケベ!」 「だ、だが、どうすれば良いんだ、一人では脱げないんだろう? 分かった、目を閉じて一切見ないようにすれば……」  会場から離れた片隅で、本人達にとっては大事、大騒ぎな狼一家だったが、生温かく見守っていたフォルクとラアナにより、事無きを得た。ラアナが着替えを手伝えば解決するのだ。  婚約者の着替えを手伝うごときでたじろいでいたクラウスが、やがて父と同じ狼王と異名を取り、国の英雄となっていくのは、そう遠くない未来のお話。
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