30人が本棚に入れています
本棚に追加
4
「よければ、事情をお聞かせ頂きたいのですが」
「事情、か」
若林由紀子は、ティーカップを手に取ると、窓外に覗く『ゼペット』の中庭へと目をやった。そこでは夏の太陽に照らされたサンフラワーが、たわむようにゆったり風に揺れている。
「やっぱり、今日はやめとくわ」
苦笑いがうかんだ。
「おいそれと人様にお聞かせするような話じゃないもの」
「さすが若林様です。『岸辺の百合』の異名は伊達じゃない」
「あら、あなた、お若いのにそんなことまで知ってるの?」
「僕の師匠である祖父が若林様の大ファンなので。『彼岸より』も拝見しました。胸が切なくなる素敵な映画です」
「そんなおべっか使っても何も出やしませんよ」
そのとき、雛太の脳裏にひとつの記憶がひらめいた。
「ああ、若宮由紀子だ!」
思わず声を上げてしまう。瞳瑠先輩と若林由紀子は何か話しかけていた。その視線が一斉にこちらを向くと、雛太は自分の失言に気がついた。
「あ、あ、すみません。呼び捨てにしてしまって……」
「いいのよ。世間じゃ若宮由紀子の名前で通ってるはずだしね」
そう言っておどけた顔をして見せる。皮肉めいているわけではない。むしろ品の良さの中に下町娘のような愛嬌を兼ね備えているらしく、老境に達しているはずなのになぜか少女を相手にしているようなほんわかした気分にさせられる。
若林由紀子は、どうやら本当に気にしているわけではないようだ。
最初のコメントを投稿しよう!