30人が本棚に入れています
本棚に追加
「え、えと……」けれども雛太はつっかえながら恐々尋ねる。「女優の若宮由紀子さん?」
「はい」
「えええ、うわー、すごい!」
まさか名のある芸能人が目の前にいたなんて!
高円寺の外れに住み、都心部に出ることも少なくないから、これまで生で芸能人を見たことが一度もなかったわけではない。だが、ここまでちゃんと会話をしたのは生まれてこのかた初めてだ。
もっとも雛太にとって『若宮由紀子』はまったく馴染みがない存在だ。
ひとまず名前だけは知っていた。確か、声の高いベテラン司会者とサシで話し込むお昼のトーク番組あたりで一度見た。
あとは青汁だかコンドロイチンだか肝油だか、そういった健康食品の宣伝番組にも出ていた気がする……そんな程度の認識しか持っていない。
とはいえ往年の名女優の一人に数えられるらしいことだけは知っている。道理で一目見たときから、常人ならぬオーラを放っていたわけだ。
そして『若林』というのが、本名なのだろうと遅ればせながら理解した。
「こ、光栄です。若林……いや、若宮様に僕みたいなポンコツ頭のチンチクリンとお話し頂けて」
「ポンコツ頭のチンチクリンだなんてとんでもない。それに若宮様はやめましょ。堅苦しいし。若林さんって普通に呼んで」
「若林さん……」
呼ぶだけで緊張してしまう。
「あなた、お名前は?」
「あ、はい。ぼぼぼ僕は小日向雛太と申します」
「うふふ、リラックスリラックス」
若林由紀子は、いつかテレビの中で見たのと同じように雛太に笑った。
「あなたを見てると、私も若かった頃を思い出す……まだ何者でもなくて、でも大空の下の大草原みたいに、これから何だって出来る可能性が広がってたあの頃……」
ふっと、遠くを見るようなまなざしになる。これが女優オーラかと心の片隅でふと思う。
「あなた、恋人は?」
「ええっ……!」
突如、思いもよらないことを訊かれてうろたえる。
最初のコメントを投稿しよう!