0人が本棚に入れています
本棚に追加
僕の答えで機嫌を損ねてしまったらここに居づらくなるんじゃないだろうか。そう考えたら、あやふやな答えしか出せなかった。彼女は悪戯っぽく笑って答えた。
「上手く逃げましたね。あ、ごめんなさい。急にこんなこと聞くとか失礼でしたね。わたし、こういう仕事してるんです」
ご丁寧に名刺をくれた。それを見てさっき出した僕の答えは正解か不正解と言われたら、やはり逃げたと言われても間違いじゃない。彼女は、傘のメーカーに勤めている人だった。つまり、雨が嫌いであればそれは適正とは呼べない。そういうことだった。
「その傘って、もしかして?」
「はい。雨に降って欲しくて持ち歩いてます。テストも兼ねて、ですけどね」
それなら天気予報で雨の日に外に出ればいいんじゃないのかな。そう思っていたら見透かされた。
「思いましたよね? 晴れの日に雨を期待するのは効率が悪いって」
「いや、そんな……」
「どんなに天気がよくても、自然のことですからその時々とか、瞬間とか……こうして歩かないと分からないんですよ。さすがに確率が0の時には出歩きませんけどね。その時は日傘としてのテストをします」
こうして話していると、この人は雨が好きなんだということが分かる。目的は傘に降り注ぐ滴の何かに対してのことだとは思うけど、でもやっぱりそれだけじゃない。色んな考えの人がいるってことなんだ。
互いの名刺を頂いた所で接点は無いけど、雨に降られての出会いというのも悪くないかもしれない。何よりも、彼女が放った言葉がとても印象に残ったのだから。
「雨って、変えてくれるんですよ」
「な、何をです?」
「日常の全てを……です。音も匂いも、そして、色をも変えるんです。素敵ですよね」
そんな不思議な言葉を言い残して、雨が降りしきる中を、彼女は嬉しそうにして歩いて行った。思いもよらなかった。日常を一変させる雨。普段そんなことは思わないし、思いつかなかった。
実は雨は好きでは無く、面倒なんです。なんて言葉には出せなかったけど、あんなに喜々として語る彼女を見ていたら、僕も何だか嬉しくなった。
ほんの僅かな雨降られだったけど、宿りの滴がもたらした出会いは僕の心を変えてくれた。そして、そんな想いをもって、もう一度出会いたい。そう思いながら、上がった雨の残り香を感じて場を後にした。
最初のコメントを投稿しよう!