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言い逃げしてしまった琉生の背中をみて、多分俺は微笑んでいた。
あれから数日。
もっと早く来たいと思っていたが、なかなか段取りできずに少し日が経ってしまったが、俺はその件の店に来ていた。
洒落た外観が男一人では受け入れませんと言っているようで妙に緊張する。かといって誰かを連れてくるわけにもいかない。意を決してドアを開ければ、これまた可愛らしい音でちりんとベルが揺れる。
「いらっしゃいませ」
物柔らかな声に迎え入れられ、それが琉生の声でなかったことに安堵と共にがっかりする。奥が喫茶になっているようなので、俺はそちらに歩を進めた。
注文を聞きに来た彼女に珈琲と新作のケーキはあるかと問えば聞いてきますといい奥へ入って行った。厨房だろうそこを何の気なしに眺めていると、白い服に身を包んだ琉生がおぼんを片手に出てきた。
「やっと来たんかよ」
一見ぶっきらぼうに聞こえるそれは、琉生がかなり照れている時のもの。
「わりいな、これでも忙しい身なんだよ」
俺の前にチョコでコーティングされたケーキを置きながら
「毎日毎日梗慈が来るかもって思って一個新作ケーキをよけておいて、来なかったら自分で買って家で食べて、ある意味むなしいのとお前に対する怒りのようなものと……とにかくごちゃごちゃになってたよ」
ぶつぶついうが、それは世紀の告白のように聞こえることに奴は気づいているだろうか。ふっと笑った俺の目の前に座った不良パティシエは
「食えよ、で、感想聞かせろ」
とぞんざいに言い放った。
そのふてぶてしい態度も可愛いと思ってしまう。現実の時間は戻らないかもしれないが、琉生と過ごす時間はまるで当時に戻ったようで殺伐とした時間を生きる俺には一筋の癒しのようだ。
「あ? 甘くねえな」
「お前でも食べられるだろう、それだったら」
顔を真っ赤にして言う琉生と、もう一度同じ時を過ごすようになるのは案外近いのかもしれない。
終
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