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「ところで、君って一途なほうなの?」
「は?」
質問の意図が分からないから正解が見つけられなくて、間抜けに聞き返すしかできなかった僕にカナコさんが挑発的な声で囁いた。
「実はクレープも、女性名詞なのよねえ」
「確かにコンプレット女史は完璧でしたが。でも目の前に別のかわいらしい女の子が現れたら男なら誰だってなびいてしまいますよね。別腹ですからね」
カナコさんは「そうこなくっちゃ」と微笑んで、真っ白い指先を誇示するように店の奥にてのひらを向けた。
ガレットは見た目よりはるかにカロリーが高い。特に厳選した材料で作られた、はっきりとハムもグリュイエールも主張するような逸品は、一枚で十分腹が膨れる。男の僕でもすでに満腹に近い。
もう一度持ってきてもらったメニューを眺めながら、僕は悪気なく訊いた。
「どうします? クレープは一枚にして、二人で分けますか?」
「ちょっと、冗談やめてくれるっ? ここからなのよ、神の業は」
「ここから? え、じゃあ今のは?」
「まだ天国の入り口よ。ここのクレープ食べたらもう二度とよその店には行けなくなるわよ」
脅しでもなさそうなカナコさんのその言葉が、もうほとんど楽園の蛇のせりふみたいに聞こえた。その昔、アダムとイブを堕落させたとかいうその蛇はきっとこんな風に囁いたんだ。食ってみろよこれ、世界でいちばん、うまいから。
そして僕らは砂糖とバターのクレープという禁断の果実をオーダーしてしまった。僕が最初の人類だったら、もっと早く楽園から追い出されていただろうなと思う。禁断だろうが神の教えに背こうが、うまいものなら食うしかないんだ。
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