オ~マイガ~

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”・・・・日本にあっては、神様は何種類も存在する。超人的な働きをした個人を”神様”と自然に呼ぶことができる。そんな”不遜”なこと、欧米人にはまず理解できまい。彼らには、神様といえば、即座に”造物主”を意味するからだ。人間は、所詮、神の被造物であり、神にはなりえない。しかし、そもそもの欧州源流にあるのは、日本と同じく、多数の神々が存在した。ギリシャ、ローマ神話の世界である”  超常現象研究家東丈は、かたかたと音を立てながらキーボードで原稿を打ち込んでいく。 ”そもそも、豊かな古代世界にあっては多神教こそが普通であり、一神教が少数派なのである。そう、豊かな自然環境こそが多神教の源泉であった。だからこそ、まさに一神教とは、豊かな自然環境の無い苛烈な砂漠の中で誕生した異端児なのである”  本来宗教論は、彼の主義範囲外というものなのだが、ある意味、日本ではキワモノ扱いの超常現象研究家じゃなければ書けない”議論”というものも存在するのである。東丈は、扱いする側がどうあろうと、自分は”まっとうな不思議事象研究家”でありたいと考えている。欧米では、超常現象研究は学問としてそれなりの市民権を得ている。おそらく、科学というものの”限界”を、科学発祥の地である欧州では理解しているのだろう。  実のところ、科学の物理理論に”これ以上はお手上げ”という領域があるのが事実なのだ。その部分に切り込み、”不思議現象”が起こることを訴える。それが、彼のスタンスだった。”超常現象”における超常とは、常識ということなのだ。人々の凝り固まった”常識”という強固な壁に風穴をあけ、その意識視野を広げる。  彼のファンには、案外に彼のその”不思議求道者”の姿勢に共鳴する人が多い。”日本でも欧米並みに不思議現象を学問として学べるようにしよう”というのが、東丈のスタンスだった。そのために、某公共放送の”反オカルト番組”にも呼ばれることもある。  髪の毛にも白いものが目立つようになってきた。志高くやってきているが、しかし、その成就を思えば、志半ばどころか、その端緒にすら就いた感覚が無い。正直、このまま、一生が終わってしまうのかという限界も感じないではない昨今である。自分は宗教家ではなく、超常現象研究家である。その目から見れば、宗教の開祖にまつわる神話は不思議現象の宝庫といわざるを得ない。
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