四章 オアシス

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四章 オアシス

 それ以来、成田くんからのご用命は全然なかったが、時々、私は本当に成田くんの家のお風呂を借りにお邪魔するようになった。成田くんは私が湯船に浸かりたい時に突然ふらっとやって来ても、それが深夜でも、早朝でも、いつでも、いつまででも浸からせてくれた。  顔以外をお湯に浸して、浴室の真っ白い天井をぼんやり見上げながら、私は一つ思い出したことがあった。私は大分の温泉処で育ち、湯に浸かるのが三度の飯より、本当に何より好きだったこと。ずっと当たり前すぎて分からなかったが、シンセンに来てバスタブのない部屋に住んでみて初めて心からそう思った。  大分にいた頃、よく家族で近くの温泉施設へ出かけた。いつも父の運転で、助手席には母がいて、後部座席に私と妹が乗っていて、何ということのない会話をしながら三十分くらいで着いた。父が漁に出ない日、母が真珠の養殖のパートから帰って来て、私と妹もとうに学校から帰って来ていて、夕飯までに少し時間があって、日帰りと言う程わざわざな感じじゃなく、本当にふらっと思いつきみたいにいつも出かけた。私達姉妹が大人になってからもたまに出かけた。私は家族で行く近くの温泉施設が大好きだった。少しワクワクして、少し眠くて。  時々訪れる成田くん家は、そういう感じに少し似ていた。  風呂上がりにキンキンに冷えた部屋で、成田くんが出してくれる冷たいビールを飲んで、時々貪る様にお互いの体を求めあって、終わったらまたお風呂に入って、ケロッとした顔で私は帰って行った。  普段二人ともとぼけている分だけ、セックスする時はお互いむき出しで、何も嘘がない気がした。成田くんは実はとても熱く、優しく、少年の様だった。私は目の前のこの肌色の塊が愛おしくてたまらなかった。世の中に特別なものが何もなくても、この温もりだけあればそれでいいような気がした。彼は普段も最中も、歯の浮くような愛の言葉や、甘い囁きなどを一切言わなかった。むしろそれがとても居心地よかった。本能みたいに、生まれる前から知ってる人みたいに、或いは人間に生まれ落ちる前の虫けらや小動物の時代の記憶を紐解くみたいに、無心になってそうしているだけでよかった。ただこの、気持ちいいことの為に合体していて、それが戯れとかのスイッチじゃないところもとても合っていた。
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