一章 桜の大群

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 私は近くのヨドバシで携帯電話を購入した。そして早速アロハくんに電話を掛けた。アロハくんの携帯は、香港を発つ前に私があげたプリペイド式のものだった。 「はぁい?」  とぼけた声が受話器から聞こえた。 「アロハくん?恩人です」  と私は言った。なんとも変な言い方だった。お互いに名前を知らないままだった。言いながら昨日のあのサーモンピンクのアロハシャツが目に浮かんだ。 「着きましたか恩人、無事に。・・・って、え?今どこですか?」 「今、日本。福岡。普通に、天神のヨドバシ前。携帯買って、花見しながらアロハくんに電話してる」 「ってことは、荷物検査スルーしちゃったんですか?」 「うん、スルーできちゃった」  変な会話だった。  私は全身の力がゆるゆるに抜けていて、雲の上を浮遊しているようだった。見上げた青い空に一筋の飛行機雲が伸びていた。 「色々酔った勢いで言ったかもしれないんだけどさ、私も全部覚えているわけじゃないんだけど、もしアロハくん覚えていたら、全部忘れて。よろしく」  私は言った。 「契りってやつですね。了解です」  アロハくんはいかにもアロハくんらしい言い方で話を締めくくった。とぼけているのかふざけているのか真剣なのか、どうにも掴み所がない青年だった。でも、抗うことなく、どこまでも事なかれ主義というかなんというか、物事に対してとても受け身で、生れて初めて着てみたアロアシャツが全然似合ってなくて、それでも他人事の様に笑っていた。押し付けがましくなくて、ちょっと間抜けで、でもどこか上品だった。  だからなのか知らないが、私はこの密かな計画を彼にだけ喋ってしまった。かなり変わった出会い方をして、突然のXデーと帰国前夜の妙なハイテンションも相まって、ベロンベロンに酔っ払い、途中から何を喋ったのかもよく覚えていなかった。  アロハくんが日本に帰ったら借りているお金を返したいというので、新しい携帯の番号を教えた。でも結局またお互い本当の名前も名乗らないまま電話を切った。名前だけじゃない、お互いのことを私達は何も知らない。知らなくてもいいように思えた。彼は世界中を旅していて、たまたま香港でほんの少しの時間を私と共有した。それだけだ。
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