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三章 シンセンの半月
香港へは一度観光で訪れたことがあったが、中国大陸へは足を踏み入れたことがなかった。シンセンはガイドブックで詰め込んだ予備知識よりも大都会で近代的だった。地下鉄も市内を網羅しており、香港顔負けの高いビル群が広い大地にそびえ立っていた。どんな路地裏のボロい小さな露天商でも電子マネーを使い買い物ができた。
留学先のシンセン大学は近代的なオフィス街から少し離れた所にあってとても長閑だった。キャンパスはとにかく広大で、食堂やお店や宿舎や美容院や郵便局やATM、贅沢さえ言わなければ大学内で大体何でも揃った。宿舎エリアと校舎エリアの間には大きな池がど真ん中にどーんとあり、朝には沢山の生徒がその淵の歩道を歩いて登校した。
ものぐさな私は大学内の留学生宿舎に入ったが、大学の外に部屋を借りている生徒も半数くらいいた。宿舎はセキュリティーもしっかりしていたし門限もなく割と自由で居心地がよかったが、外の物件の方が断然安いので、言葉が不自由なくなったら留学生宿舎を出て、友達とアパートをシェアしたり、一人暮らしを始める人が増えていった。
授業が終わると別れ際に、
「じゃ、夜シーメン(西門)で」
と合言葉みたいに言い合い、大学内の宿舎組と、外住み組とが夜な夜な集う場所があった。
留学生宿舎から一番近い出入り口が西門で、西門を出てすぐの所にフィッシュボールの屋台が毎晩出ていた。おじさんが一人でどこからともなくリアカーを引いてやって来て、風呂場用のプラスチック製の丸椅子と、それにちょうど合う高さの背の低い小さなテーブルをそこら辺に並べると、徐々に人が吸い寄せられるようにやって来た。おじさんの屋台が流行る理由は明確で、ビールがとにかくいつでもキンキンに冷えていることと、ビールのアテである中華風おでんが安くて旨いことだった。魚のすり身、肉団子、厚揚げ、大根、卵や糸コンなど、とにかく沢山の食材を同じ鍋でぐつぐつ煮込んでいて、特に日本人の口にはよく合った。
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