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居間を後にして、書斎に向かう。
財産を譲ると書かれたありがたい書類は書斎から見つかったらしい。一目拝んでおいても、バチは当たらないだろう。
「お邪魔しますわ、先生」
ついつい声も明るくなってしまう。
古ぼけた机には、何の面白みもない。ふと、壁に埋め込まれた本棚に光が当たっている。カーテンの隙間から、陽射しが差し込んでいるのだ。
「作家にあるまじき本棚ね」
鼻で笑って本棚をのぞき込む。どうせ、あの男のことだ。棚は自分の著作で埋め尽くされているに違いない。人形を娘と思いこむような、哀れで寂しい男なのだ。
予想通り、何段もある棚には『著 松本葉造』の文字がずらりと並んでいた。ハードカバーの背の高い本たちが誇らしげに居並ぶ姿も、今となっては滑稽でしかない。
だが、上段の棚の右側に一か所、背の低い本が置いてあった。
「文庫本?」
興味をそそられ、手を伸ばす。文庫化した著作を置いているのかもしれない。
だがなぜこの本だけカバーをかけられているのだろうか。
背伸びして文庫本を取り出し、無造作に最初のページをめくった。
そこには、見慣れた名前が印刷されていた。『著 松河美里』
「え、何よ、これ……。どうして……」
無意識のうちに、手が震えた。
本は擦れて色褪せている。何度も何度も、この本に触れていたのだろうか。
よく見ると、本は不自然に膨らんでいる。間にしおりが挟まれているようだ。そのページに手を掛け、私は本を取り落とした。
床を転がった本の隙間から、一枚の遺書が零れ落ちる。
震えが止まらない手で、そっと手紙を拾い上げた。松本叶へ宛てた、恋文であった。
「……これは、違う。あの人形よ」
人形にあてた手紙だ、そのはずだ。
ではなぜ、この恋文は私が書いた本に挟まれていたのか。
どうしてこの部屋から嗅ぎなれた柑橘系の香りが……私が愛用している香水の香りが漂うのか。
「松本はすべてを知ったうえで、あんな嘘を……?」
あの男は、最初からすべての遺産を私に譲るつもりで――。
いつの間にか日は沈み、書斎は暗闇に包まれていた。
書斎のなかにうめき声が響く。
耳を澄ますと、それは私の口からもれた嗚咽であった。
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