恋文の向後

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「叶、入るよ」  ノックして、少し待ってドアを開く。叶はベッドの上で先ほどと変わらぬ姿勢で、静かに寝息をたてている。そっと顔を近づけた。  娘の寝顔を、こうして何度見つめていただろう  頬に触れる。横たわっていた身体が仰向けに転がり、着物がかすかにはだけた。白い胸元が、月明かりに映える。  手を伸ばし、そっと叶に寄りかかる。身体を近づけた。その時、今まで何度も起きていた胸苦しさが襲いかかってきた。叶の身体に乗るようにして、私は倒れ込んだ。 「う、むぅ……」  徐々に胸の締め付けが苦しさを増していく。嫌な汗が噴き出してくる。だが、胸の苦しさを忘れる程に、倒れ込んだ叶の胸の中は心地が良かった。  私は束の間逡巡した。今死ねば、この瞬間は永遠になるのではないか。  娘の胸に倒れ込む、父としての不道徳も背徳も、全ては病ゆえのこと。この倒錯した時間は、病がもたらした死への甘い誘いなのではないか。 「ここで死ねば、全て……」  もはや自分の財産も、切なさや悲しさも全てあの場所に置いて来た。何を恐れる事があるのだろう。  意識が薄れていく。全身が痺れたようになり、どこか遠くに離れていくような心地だ。少しだけ、眠ろう。苦しさはない。ただ、どうしようもなく瞼が重かった。
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