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じー、じー、と、茹だるように鳴いていた蝉も、山向こうに日が隠れ暫く経てば、夜の帳に身を潜める。
真上から浴びせられる強い日差しに耐えた土肌を、月影が優しく照らし出す。
平常時ならば、木の柱の陰に幽霊でも浮かび上がりそうな程、静かで、陰気臭く、古いだけが自慢の家屋。
それが今夜は珍しくも、人の騒ぐ声がいつまでも響き続けていた。
これが宴であれば、少しはましであったのだろうか。
そう思い付いては、さして感想が変わることはないだろうと、諭すような自分の声の幻を聞く。
一族が会する夕食の席、喧々囂々の言い争いを、見るともなしに眺めながら、私は気付かれないように箸を置き、小さく溜め息を吐いた。
辟易している。
この、好き勝手に言い争いをする大人達に対して。
この、私に関わることで諍いが起こっている事実に対して。
そして、この争いの中心人物であるにも関わらず、蚊帳の外にされている自分自身の処遇に対して。
当事者たる私を差し置いて、先程から争われているのは、この夏が終わり、次の冬が明ければ高等学校を卒業する、私の嫁の行先の話だった。
次に桜が咲く頃には、私はこの家を出て、海辺の町にある本家へと嫁ぐことになっている。
正式な婚約こそしていなかったが、幼い頃からそう言い聞かせられて育った私は、片手で数えられる程しか会ったことのない親戚の妻となるのだろう、と当然のように受け止めていた。
しかし事は、夕食の席で叔父が突然、別の見合い候補の名前を挙げたことから始まった。
寝耳に水で驚く私をそっちのけにして、父や母、祖父母、叔母達等、私より歳上の者達は皆、喧しく言い争いを始めたのだった。
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